日々のノート

植物料理研究家YOSHIVEGGIE(ヨシベジ)のブログへようこそ。自然のリズムと同期する生き方。セルフラブから始まる地球平和。ノート術。生きづらさをギフトに変える心理学。食べもの、暮らし、マインドフルネス。

ニューアース・キッチン 7   摂食障害

ニューアース・キッチン

~台所で母なる地球の声を聴く~ 

 

摂食障害

 

私の食の旅、暗黒編はこれで終わりません。

 

私は、完治はしていないといえ、明らかに私のからだに変化をもたらしてくれたマクロビオティック穀物菜食にすっかり夢中になりました。私は当然、結婚して入った新しい家庭にもこの食事法を取り入れようとしていました。

 

からだにも地球にもやさしい、動物にもやさしい。第一、理にかなっている、これこそが理想の食事法だ!この嬉しい発見で私は正義感にあふれていましたから、そのままでいくと普通の食生活をしている周りの人たちとの調和はなかなかとれません。家庭ではなおさらです。

 

まだまだ、ベジタリアン、という言葉も知られていなく、外食のチョイスも限られていた時代のことです。こんな理想的な食事が、なぜ一般的でないんだろう、どうしてこの考えが世の中では受け入れられないのだろう。周りの無理解への歯痒さも感じていたと同時に、周りに納得してもらえるようなおいしいものを野菜や穀物だけでつくれない自分に対しても、疑心暗鬼になりました。

 

いつしか、頭の中が、食べもののことばっかりに、なっていました。

その間、上京、就職、結婚、そして離婚、というめまぐるしい環境変化のなか、私はバランスを崩していきました。穀物菜食をつくって食べるのに、夜遅くにはスーパーやコンビニに行って、パンを買い込む。食パン1袋だって涙を流しながら口の中に押し込みました。過食と嘔吐、そして絶食を繰り返しました。立派な摂食障害です。カウンセラーに通っても、いろいろな療法を試してみても、出口は全く見つかりませんでした。自分がどうしたいのか、どうしてこんな自傷行為をするのかも、まったく、わからないのです。答えを求めて、前世まで辿ろうとしたこともあります。

 

あまり思い出したくない体験ですが、あえて語ることも必要かなと思うのは、こうして今も自然食の世界にいると、時々、あのときの私と似た表情をした人を見かけるからです。

 

その後、摂食障害はどうなったのか。

私は、その状態を、ただ受け入れることにしました。

 

ヘルシーなご飯が食べたいと思えば食べ、ジャンクフードを食べまくりたいのだ、と意欲が湧いたら、「わかった!」と言って気が済むまで自分に過食させてあげる。苦しいから絶食する、と心が叫んだら絶食させてあげる。お肉が食べたいのかな?と思ったら思い切って食べました。差し入れでいただいた自然食ではないお料理も、おいしそうと気持ちが動いたらありがたくいただくようにしました。

 

自分に課していた食のタブーを、ひとまず全部外しました。マクロビオティックこそが理想の食事だ、という決めごとも、自分のアタマから外しました。依然として過食・絶食の繰り返しです。

ですが、私の心・からだの知らないところに、切実な叫びがあって、危険を顧みず私に何かを訴えてようとしているのは確か。そのわかっている部分だけでもいいから、要求は、ちゃんと聞いてやろう、と決めたのです。過食してしまう自分を、否定しないことにしたのです。だって、こんな状況を見て、理解して受け入れることができる人なんて、自分以外にそうそういません。

 

たくさん食べたいと思ったらたくさん食べ、そんだけ食べりゃあ気持ち悪いよね、と自分で笑って寄り添ってあげているうちに、いつしか、それは単なる食べ過ぎになり、脅迫観念とは切り離され、病的行為ではなくなっていました。

過食欲求は、気がついたら治まっていました。

 

思い返せば、マクロビオティックが問題だったわけではありません。私の内面で抑え込んでいた生きづらさが、マクロビオティックとの向き合い方をきっかけとして表面に噴出したといえるでしょう。

それでも私は、私自身や周りの人たちに対して、ひとつの食事法・健康法が正解だと決めてかかるのはよそう、と思いました。それは私自身をがんじがらめにしていたようでした。

アタマで食べるのじゃなくて、カラダで食べる。それが、自分自身を大切にする日々の選択。

 

この体験のさなかで、私の内側から聞こえてきたメッセージがあります。

 

 

食は私の人生の主役ではない。

決めるのは自由意思をもった生身の私。

テキストブックや師は、道しるべではあるけれど、私の保証人でもなければ、道そのものでもない。

本当に耳を傾けるのは、私のこころとからだの内側から聞こえてくる声。

今日の私の声と、明日の私の声は違っているかもしれない。

でもそれを信じてあげよう。

そのままの自分を受け入れてあげよう。

私が、私のからだの一番の理解者であり、主人だから。

 

 

カラダに聞いて食べるとはいえ、過食や、添加物入り加工食品ばかり食る衝動は、本質的に体にやさしいとは言えません。そこで、魅力的なジャンクフードやメタボフードをイメージさせる要素を、食感や見た目に取り入れて、ジャンク気分を満たすヘルシーなメニューをつくるという方法が登場します。ここでも私の摂食障害という暗黒体験は役立っているわけですね。暗黒の体験を反転させてみると、かならず、そこには純粋で善意の意図が隠れているものです。

ラディカル・アクセプタンス(徹底的な受容)」という心理学用語(マーシャ・リネハン)があります。どうしようもない自分がいる。それでもまずは無条件に自分とその状況を受け入れる、というところから、光が見えてきます。

 

閑話休題

食べる快楽もさることながら、食べた後もからだが喜んでいる。これも、大切なサインです。

 

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