日々のノート

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ニューアースキッチン14 切るの多様性と調和


14 切るの多様性と調和

 

豪快さを出したくて、ゴロゴロと大きく切る。繊細さや優しさを出したくて、丁寧に細かく切る。同じ料理なのに、切り方ひとつで料理の印象は変わります。ここにも多様性と調和の法則がはたらいているのが見えます。

 

料理をしながら、私はよく切り方について思いを馳せていました。たたく、削る、おろす、擦るといった、カット界の辺境にいるような、包丁をほぼ使わないファジーな方法について。なにか縄文感覚?を呼び覚ますような切り方について。

 

カンボジアの友人からもらった包丁があります。素朴な木のハンドルに、2枚の刃が真ん中で少し重なるようにくっつけてあり、真ん中には隙間があるので、そこがピーラーになります。刃はそこまで鋭くは研がれていません。

青パパイヤのサラダをつくるときに、カンボジアの人たちはなめらかな手つきで、空中でその包丁を動かして、すべてを済ませます。まずピーラー部分で皮をむいたら、刃の部分を縦に細かく果実に当てる。カカカカと、その様はキツツキのような素早さと確実さです。その後またピーラー部分で削ぎ落す。そうすると千切りがいとも簡単に完成。

水が張ってあるホーローの洗面器のなかでアクを抜いて、水切りしたあとは、木をくり抜いた鉢のなかですりこぎを使ってニンニクや生のインゲン豆やピーナッツ、トマト、それに唐辛子を砕きながら、たたくことで味をよーく馴染ませ、ハーモニーのあるサラダができ上がる。そう、ここではさらに、「たたく」という手法も使っています。

 

まな板を使わずに調理する方法は実は多いようです。ズボラということではなく。

私の目の前で、ギリシャのお母さんは、ペティナイフひとつで野菜を乱切りにして鍋に放り込んでいきました。日本在住のモロッコ人女性の教室に行った際、彼女は手に持った大きなたまねぎを空中でみじん切りにしてしまった。今見たのはなんだったかな。キョトンとしてしまうほどの、目を見張るスピードで。

アジアの屋台や市場でも、女性たちはまな板を広げずに、ブリキやプラスチックでできたチープな便利グッズを駆使しています。コーラのボトルのフタのギザギザでココナッツの胚肉を削って、ココナッツミルクをしぼったり、あるものを最大限活用するたくましさと創意工夫。見ているだけで心が躍ります。

 

そういえば日本の家庭料理でも、たたく、擦る、という、調理をよくしますよね。

本来はシャキシャキの歯ごたえがある野菜。わざと叩くことで、シャキシャキしつつも繊維がほぐれて、食べやすくなります。そして、切ったのとは違って、断面(エッジ)が複雑に増えます。そうすると調味料との接点も増えるわけで、ごぼうも、レンコンも、キュウリも、断然、味がしみ込みやすくなります。

 

ハーブはナイフなど金気のあるものを避け、ちぎるようにします。不規則な断面が生まれ、そこから香りがふわっと立ち上ります。サラダの葉っぱもちぎることでドレッシングの馴染みがよくなり、お皿の上に動きが生まれます。

 

 

断面(エッジ)を増やすといえば、おろすという切り方?ですね。水分もたっぷりと出てきて、やさしい口触りになります。高熱で何も食べられないときに、りんごのすりおろしなら食べられた、という経験がありませんか。すりおろされた大根は酵素をたっぷり出すので、消化を促し、魚や脂っこいものがさっぱりと食べられるようになります。

おろし器は用途に合わせていくつかを使い分けていますが、私のお気に入りは、竹でできた鬼おろし。粗く不揃いなおろしができるので、大根も人参もサラダ感覚で食べられるのです。

 

カッティングしない、という選択肢もあります。なにもしないでそのまま、マルのまま。

若いピーマンなら、ヘタや種もそのまま、鉄のスキレットで素焼き。破裂しないように、数カ所竹串で穴をあけておいて。仕上げに醤油をじゅっと垂らして。かぶりつくと、なかからピーマンの香り高いジュースとともにプチプチの種が出てきて、口のなかが幸せになります。ほろ苦さがたまりません。ヘタも食べられます。塩とオリーブオイルだけで十分です。

 

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