荷物を整理していたら、修士論文を見つけました。
マックのPerformaに向かいながら、山の麓の長屋アパートで夜なべしながら書いたものです。
お隣さんは精神分裂症を患ったおじさん、そのお隣は息子を毎日虐待する父子家庭だったな、そういうことも思い出しながら・・・
同じくネグレクトされている飼い犬の皮膚にぎっしりとついたノミを、その男の子と一緒に一生懸命シャンプーしてとってあげたら、警戒しまくっていた犬の態度が180度変わったこと、思い出しながら・・・
わたしも妹を亡くして数年、それ以前(幼少)からの複雑性PTSDを抱えてグラグラの精神状態(またあらためて書きます)の中にあって、よく書き上げたものだなと、今は素直にそのがんばりを褒められます。
その頃は、ちょっとメタフィジカルな話になってしまいますが、「自然」が今にも壊れそうなフラジャイルなわたしを直接サポートしてくれていました。
木から立ち上がるオーラを見つめながら(人のオーラは様々だったけど、木のオーラはいつも輝いていた)、問いかけをすると自然界から言葉がすっと中に入ってきたり、そうしながら、なんとか保って生きていました。
わたしは真に、書くことが好きです。
時間を完全に、忘れてしまいます。
書いて、ごはん食べていけるなら、なんて、素敵だろう!ザ・自由!
って今もあらためて思うんですよね。
だから、その方向性、大いに大事にしていきたいと思います。
昔から、わたしのフォーカスは、変わっていません。
それは。
地球の癒し=人の癒し
インナーチャイルド(内なる子ども)が愛されない悲しみや怒りに沈んでいたり、もはやその内なる子どもの存在さえも隠されて大人をやっていることが、人間関係の問題、社会と経済の問題さえも引き起こしていて、自然の調和と多様性を壊していく。
今も、世界中で起きている。
わたし自身も、わたしの祖先たちも体験してきた。
専攻が経済学だったので、環境社会学や環境経済学の内容をちらちら遠慮気味に出し、ディープエコロジーにぎりぎりのところで触れながら、指導教授の専門である流通を軸に書き上げた論文。
流通経済といっても、わたしには当時から流通が「想念・エネルギーの流れ」にしか見えなくて、地に足のついた思考はできないものかね、と現実感覚の欠如した自分にほとほと嫌気さしながら、コンプレックスにフラフラになりながら書いていました!
グリーンコンシューマー、今で言うロハス的な購買行動。NGOがリードするフェアトレード活動。そんな実例がかろうじて論を支えるよりどころでした。
まだインターネットも普及していなかった頃の情報収集は、たいして蔵書数のない大学の図書館と、なにをどう探していいかわからずだった国会図書館と、新聞とNGOやフィランソロピー団体の情報誌。
稚拙だったけど、懐かしい。
わたしは書くこと、描くことにときめきを覚え、よりどころとし、時間を忘れます。
お金になるとか、仕事になる、一切関係なく、です。
あの人みたいに上手じゃないとか、他にやっている人はいくらでもいる、関係なく、です。
あなたの時間忘れて没頭してしまうツボって、なんですかあーー!?
Your soul is calling you!