まず、自己否定という概念をもたなければ、自己肯定、というコトバも存在しない。
万物の神が創ったわたしという存在はそもそも、肯定や否定をするような対象じゃあ、ない。
私が生きているのは、生かされているから。
生かされている間の、授かりもの。
私の存在は愛でできている。
自己肯定感なんて、ヘンテコで、本来ならばなくていい言葉だ。
だけど、ほとんどの人が自己否定や自己嫌悪という、これまた不必要でヘンテコな感覚を、社会というハコ(家、組織、国など)の中で体験し、意識の中に深く深く組み込んでしまった。
だから対の概念として、自己肯定という言葉が持ちあがる。
だから私は、セルフラブ(自愛)について話す。
本来すべての生きものに備わっている、自分大好き機能。
おそらく幼い頃に、または成長の過程で、この機能を制御して抑えてきた。それが良いことだと教えられ、思い込んでいた。
思い出そう、セルフラブ。
本当は自分のこと、無条件に大好きで、無条件に気にかけていることを、自分を幸せにしてあげたいことを、自分に認めよう。
幾重にも歪められたこのハコの仕組みの中で、先祖代々、脈々と自分らに課してきた呪縛をほどいていこう。
自己は、宇宙の中の極小の粒子、または波。
一瞬の間の、なんてちっぽけな粒。
同時に、意識宇宙の全てが始まる、かけがえのない中心でもあるのだから。