日々のノート

植物料理研究家YOSHIVEGGIE(ヨシベジ)のブログへようこそ。自然のリズムと同期する生き方。セルフラブから始まる地球平和。ノート術。生きづらさをギフトに変える心理学。食べもの、暮らし、マインドフルネス。

ニューアース・キッチン おわりに

 

おわりに 

 

ニューアース・キッチンが目指すもの

 

2000年を迎える頃より自然食やマクロビオティックの料理の世界を探求してきました。気がつけば20数年が経ちましたが、感覚的にはもう、でもあるし、まだ、でもあります。

 

古典的なマクロビオティックに出会ったとき、体の不調を治癒する力を実体験し、古来の調味料や調理法で丁寧に作った、陰陽調和料理の噛み締めるほどに深まる味わいに衝撃を受けました。

身土不二と一物全体、陰陽の考えを忠実に反映した当時のマクロビオティック料理は、素材の制限もあったため全体的に地味な茶色の料理になりがちでした。

食事で満たされるというとき、それは美味しさ、健康を保つ、というだけではなく、彩りやプレゼンテーションも大切であることに、気づきました。そこから五感の全てにわたって満たされる料理の探求が始まりました。

五感の全てにわたって満たされる料理はすなわち、多様性と調和の料理です。お皿の上の調和と、地球の調和とがつながっているように、とイメージをしながら、料理を創作してきました。

 

 

体にやさしくて

おいしくて

心が満たされて

エネルギーが目覚めて

地球とのつながりを思い出すごはん

 

節目であると感じる今、長年の料理とのお付き合いを振り返って私がこれまで食について学び、体験し、考えてきたことを、エピソードごとにまとめてみました。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 

癒しが生まれるところ

 

母なる地球とのつながり、という文脈で食を語ろうとするときに、わたしの中では切り離すのが難しいのが、テキストの中でたびたび触れてきた、生きづらさや心の問題です。

 

私が生まれた家は特殊な事情があった上、重病人が相次ぎ、まるで呪いがかけられているような家庭でした。成長過程で負った複雑性PTSD(継続的なトラウマ)の影響は深く、物心ついた頃には私の中に生きづらさという暗闇がついて回りました。どちらかといえば自己肯定感がないところからの人生のスタートでした。過去世や家系的なカルマもあるでしょうか。現実感覚が解離し、どうも周りとの認識のずれが生じます。友達とどうコミュニケーションをとったらいいのか戸惑っていた子ども時代。その頃から誰も見ていないところで植物と話をする変わり者でした。植物となら、素直に心を開いて話ができるのです。

 

私の両親も、やはり同じく心の中に深い傷を負って、暗闇を抱えていたのではないかと思います。戦争とその混乱を体験した世代です。事業に奔走し、家族を守り養うことで精一杯でしたが、本当は思う存分、彼ら自身も幼少から負った内なる傷をヒーリングすることを、魂が求めていたかもしれません。二人は自然を深く愛していて、山を開墾したり、野菜や花を育てたりすることをとても楽しんでいました。家庭にはさまざまな問題がありましたが、自然の中に入っている時は、大いなる自然に包まれて、そして関わり合っているという安心感に浸っていたように思います。そして草や木や野菜や川、土といった共通の話題で会話をしているときは、家族のなかに無邪気で優しい時間が流れていました。

 

ティーネイジャーの頃になると、天啓のような、ガイアからの直接的な呼びかけのようなものが降りてくるようになっていました。木々からオーラが立ち上がるのを飽きずに見つめていました。人のオーラと違って、木々から放たれるオーラは、純粋な光でした。「あなたの仕事をさせてください」と私も呼びかけました。ただ、何をしたらいいのかわかりませんでした。

ふいにやってくる恍惚体験とその後反動のようにやってくる暗闇の振れ幅に、疲労困憊していました。こんなに生きづらさと生き下手を抱え、自分の心の問題さえ克服できないダメな人間なのに、母なる地球ガイアのためになにもできない無力感を同時に感じていました。自然が、私たちの都合によって加速的に壊されていく様子を悶々としながら見つめ、ときに見てみないふりをしてきました。

 

ベジ料理家というと、心身ともに健全健康な料理家のイメージがあります。私も永遠の憧れです 笑。目指すは明るく社交的なインフルエンサー。しかし私の場合は、生まれながらについてきた心と体調の不安定という障害に向き合いながら、ガイアから語りかけられ、語りかけ、植物から体を治してもらい、植物に導かれるようにして料理に向かい、なんとか生かされて今があります。

 

私が脅迫的な食べ吐きを繰り返す摂食障害で苦しんでいることを、私にとって姉のような存在だった友人(故人)に打ち明けたとき、彼女がこう手紙に書いてくれたことがあります。

 

「食があなたにとってとても大切なものだから、苦しみも食を通してあなたに伝えてくるんだね」

 

今後、地球に恩返しできて、世の中に少しでも貢献できることが私にあるとすれば、私が私のありのままを全肯定で受け止め、癒し続けるチャレンジそのものが、同じく悩める誰かの励みになり、地球の重みを軽くすることにつながるのではないか。その感覚は強まるばかりです。なので、料理のことと等しく、生きづらさを経験してきた私だからこそ、心のことと癒しにつながるヒントもみなさんにお伝えしたいことなのです。

 

私が数十年間ガイアに語りかけてきた「あなたの仕事をさせてください」という祈りは、それが自分自身であれ、地球であれ、今もっとも癒しが必要なところに癒しを注ぐことでもあるのかもしれません。一人一人のユニークなやり方で。私も、植物料理研究家という枠に限定せずに、私なりのユニークなアプローチをこれからも切り拓いていくつもりです。

 

守・破・離という言葉があります。型を守り、型を破り、型を離れて、自在の道に至る、修養のプロセスを表したものです。

 

生きることは食べること。これからも私はキッチンに立ち、無邪気に料理を楽しみながら、地球の恵みをお祝いしたいと思います。

読んでくださったあなたの食べるごはんが、本質的な豊かさに満ちて、同時に最高の癒しでありますように!