日々のノート

植物料理研究家YOSHIVEGGIE(ヨシベジ)のブログへようこそ。自然のリズムと同期する生き方。セルフラブから始まる地球平和。ノート術。生きづらさをギフトに変える心理学。食べもの、暮らし、マインドフルネス。

ニューアース・キッチン15 禅とパーマカルチャー

 

15 禅とパーマカルチャー

 

理想的なキッチン仕事は、エネルギー、時間、空間がほどよく関連し合って、有効活用されているものではないかと思います。動線もよいので労力も小さくて済み、光熱費や材料費などのコストも下がっていきます。そして、Eco-logical(エコ・ロジカル)、つまりエコ的に理にかなう、という相乗効果がついてきます。

 

理想的なキッチンのエッセンスを、私はかつて禅のお坊さんに教わりました。

 

師と修行僧、客人のために毎日の食事をこしらえる役の僧は「典座」と呼ばれ、禅宗では、この台所仕事も大切な修行のひとつと位置づけられています。曹洞宗道元禅師は「典座教訓 てんぞきょうくん」という、典座の心得を書いています。そのなかに、「低処低平・高処高平」という言葉が出てきます。

直訳すれば、低くあるべきものは低いところに置き、高くあるべきものは高いところに置く。ものの配置・流れについて説いた言葉です。

かつて私が住んでいた長屋のすぐ裏手には禅寺がありました。気さくなお坊さんが管理をしていて、私もお寺によく遊びに行きました。朝の座禅会の後は、お坊さんと一緒にお昼ごはんをつくりながら、実践「典座教訓」の心得を教わりました。

 

無駄なものがない、禅堂のなかの簡素な台所。贅沢と無縁の自給自足的暮らし。限られた食費。

そんななかで滋味なるごはんをいろいろとこしらえていきます。調理のために悠長な時間をむさぼるのもよしとはされません。

よく使う道具は、釘を打った壁に吊るされ、鍋やボウルは動線に合わせて手が伸びた先に配置されていて、効率がよくて手早く調理をすすめられるようになっています。

味に影響しない限り、いくつも道具を使うことをせず、ひとつの鍋、ひとつのボウルでできること、ひとつのプロセスにまとめられることはまとめて行うようにしています。洗い物も最小限になります。

 

修行というと堅苦しいイメージがあったのですが、お坊さん自らが嬉々として創意工夫を重ねる様子に、とても親しみを覚えました。道元禅師の説く「低処低平・高処高平」が生きている台所でした。

そうしてできあがったごはん。感謝を込めて、ときに畑や庭にゴザを敷いて、遊び心をもっていただきました。

 

フランスに亡命し「マインドフルネス」を説いたベトナムの仏教僧であり平和活動家であったティクナットハン。

マインドフルネスとは、呼吸を深めながら、今ここに意識をおき、味わうこと。日常を瞑想的に心穏やかに過ごす知恵です。彼もまた、台所が瞑想の場でもあり、マインドフルネスの実践の場であるように、と説きます。例えば、食べたお皿を洗うときには、赤ちゃんのブッダをお風呂に入れるような気持ちで取り組みなさい、と。水道から流れる水、洗剤、手の動き、清められた器。マインドフルなコミットメント(全集中)は、自ずとエコ・ロジカルな所作につながっていきます。

 

 

フランス料理の世界でも、同じようなことが大切にされます。

 

フランス料理でいう「ミザンプラス」とは、調理前の「下準備」を指します。直訳は、「あるべき場所に配置する」といったような意味です。禅の教えと同じですね。

そして、いざ始まったらすぐに調理に取りかかれるように、ミザンプラスによって空間と時間を節約するわけです。

当たり前のようですが、まず準備を整える。そして調理に取りかかる。

 

最初のミザンプラスというこの美しい所作が、やはり美しく、美味しい料理をつくります。

 

 

タスマニアのビル・モリソンが提唱する「パーマカルチャー」には、禅と同じエッセンスが見つかります。

 

パーマカルチャーは、農と暮らし、コミュニティのサステナビリティ・デザインが体系化されたもの。その土地の生態系(エコシステム)と、暮らしが調和することを求めて、もっともエネルギー効率がいいように、植物、家畜、人、コミュニティ、農園、建築物、お金など、関係し合うすべての要素がより生き生きとしていられるような配置をするデザイン体系です。

 

パーマカルチャーの理論は複雑で難解にも見えるのですが、ひとつひとつの項目を読み解いていくと、世界各地の優れた伝統的または先進的な農法が取り上げられていて、非常に具体的です。あたかも、自然や生態系は複雑に入り組んだしくみですが、それを体で感じるのと同じように。

 

時間軸、縦横の空間軸、といろんな角度から、地球にも人にもやさしい方法を見つけていくパーマカルチャーに興味をもち、私はオーストラリアで学び、パーマカルチャーデザイナーという資格をもらいましたが、役に立っているのは、具体的なデザインのみならず、むしろパーマカルチャー的思考軸そのものです。

 

キッチンという環境のなかでどのように効率よく収納し、使いやすく道具を配置するか、調理の手順をどうするか、頭の体操をする際にも、大いに役に立ちます。

 

のちに解説する、多様性、端っこのちから、時間的な流れ、身近にあるものを利用する、など、私の料理軸には、パーマカルチャーの思想が深くからんでいます。

 

禅、フランス料理、パーマカルチャー。

時間と知恵を重ね体系化されたもののベースには、共通して理にかなった美しさがあります。

 

 

これを書いていて、私のとある経験、長年参禅しているという知人に1泊二日の座禅会に連れて行ってもらったときの、朝のお粥の時間を思い出しました。朝の長いお勤めが終わり、静かに朝食を待つ私たちのお椀には、待ちに待ったお粥が注がれ、次いで、沢庵や梅干しが回ってきました。

 

そこでは、最初から沢庵をボリボリかじりながらお粥をいただくことは、どうやらNGのよう。なぜなら、ボリボリ音をさせているのが私ただ一人だったから。ハッとして、ヒヤっとする汗を脇に感じながら、様子を伺いました。どうやら私以外は全員、梅干しをおかずにお粥をいただいた後で、お椀にお茶が注がれ、最後に沢庵でお椀を拭って掃除して締めくくっているではありませんか!!

そのときでさえ、だれも音を立てずに器用に沢庵を食べるのには驚きました。想像してみてください、静かな座禅堂に、私の沢庵ボリボリ音だけが響いたのを。一度口に入れたものですから、もう後戻りもできません。

さらに修行僧は、そのお椀を布でふいただけでしまう。

まあ、なんと水を汚さない、エコな食べ方のお手本だろう。そう感心したのと同時に、理にかなった順序というのがあるものだ、と感心しました。

 

 

他にも、私のキッチンでこれらのエコなロジックがどう活かされているか、ささやかな事例ですが、あげてみましょう。

 

植物性材料の焼き菓子を作るとき、レシピの基本はいたってシンプル。

粉類であるドライ、そして水分であるウェットの二つです。あとはここにフルーツやナッツなどの固形が加わります。ウェット材料には、油のほか、シロップや豆乳を使います。

ウェット材料を計量カップで計ってボウルに入れる際、油を先に。つるっと滑って次に同じ容器でシロップを計る際にこびりつかないから。最後に豆乳。そうすると、計量カップがきれいに掃除されて洗うのもラクなんです。ただし、レモンの酸と豆乳のタンパク質は混ざると凝固反応を起こしますから、そこは別にします。

 

お菓子づくりにも、料理の際にも、影響がないと思われるものは同じボウルやバットを使い回し、まな板も汚れない、匂いの強くないものから先に切りはじめ、調理途中は汚れたら清潔な布巾で一拭き。不要な洗いのプロセスを最小限にします。

 

キッチンで出る生ゴミ。今は田舎暮らしになり、コンポストができる環境にあるので、バケツに直接入れて米糠などを混ぜ入れ、その後土に還します。

土に還せない環境にいたときは、いろいろ試行錯誤の結果、私はシンクのスペースに三角コーナーを置いたり、排水口のバスケットに溜め込んでいくのもやめました。小さなバケツにレジ袋をかぶせておいて、出た生ゴミや食べ残しはそこに直接入れていくようにしています。濡れずにすむので、水切りも必要なく、結果的にストレスが少ない方法です。

 

調理台では、かならず野菜くずは出るので、切ったものを入れるボウルやバットとは別に、野菜くずを入れるボウルも用意しておきます。お芋類やたまねぎの皮をむくときは、新聞紙を広げた上で作業し、新聞紙ごと包んで処分します。

水菜やニラ、レタス、春菊など葉っぱを下ごしらえするとき、最初に洗うのではなく、やはり新聞紙の上に広げ、最初に傷んだところや変色している部分をトリミングします。その後たっぷりのきれいなお湯のなかでやさしく洗うと、土埃や小さな虫もはがれて、葉っぱがしゃっきりとして、洗うプロセスが短縮されるばかりか、濡れた生ゴミが出ることもありません。

 

体を動かしながら、自分にも、エコ・ロジカルにもちょうどいい動きや順序を発見していく、そういうところもキッチンライフがクリエイティブである理由のひとつだと思います。ほどほどに、おおらかに工夫を楽しんでみてください。

 

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