日々のノート

植物料理研究家YOSHIVEGGIE(ヨシベジ)のブログへようこそ。自然のリズムと同期する生き方。セルフラブから始まる地球平和。ノート術。生きづらさをギフトに変える心理学。食べもの、暮らし、マインドフルネス。

ニューアース・キッチン17 エッジに宿るエネルギー

 

17 エッジに宿るエネルギー

 

皮・根・軸・芯。普通なら捨てられてしまう、端っこ(エッジ)には、美味しさが詰まっています。オーガニックで力みなぎる健康野菜なら、なおさらのことなので、活かす方法を考えてみましょう。

 

皮は味・香りが濃い部分です。固くなくてきれいな皮なら、そのまま料理します。

ただし、皮はそもそも外界から自分のからだを守るもの、固かったり、アクがあることも。そんなときは皮をむきますが、オーガニックに育った野菜ならとくに、ただ捨ててしまうのはもったいないかもしれません。

たとえば人参。冷凍してとっておいて、スープストックに使います。スープストックについては、次の項目で。

レンコンの軸とその皮は刻んでごま油で炒め、味噌をからめるとレンコン味噌の出来上がり。この部分は気管支のお手当によいと、昔ながらの養生法に出てきます。

蓮根の皮はほかにも、素揚げにして塩をひとふりし、お酒に合うレンコンの皮チップスにするのもいいですね。

大根の場合。皮を厚めにむいて、一口大に切って醤油漬けにしたり、千切りにしてきんぴらに。ごはんがすすんで困るくらいです。

 

ネギやセリ、ミツバの根っこは、きれいにお掃除して、天ぷらにします。手間がかかりますが、ぜいたくで美しい一品です。パクチーの根っこは、タイ料理のベースに欠かせない食材。つぶしてアジア系料理のだしにしたり、すり鉢で潰して、にんにくや生姜と一緒に炒めスパイスを効かせたベースをつくります。

 

芯と外葉

セロリの株元部分は香りのカタマリ。買い物の際も、このコブが大きいものを選ぶようにします。

ヨーロッパでは、セロリアック根セロリ)という定番野菜がありますが、日本では高級スーパーで見かけるくらい。セロリよりも優しい風味の、握りこぶしから手まりくらいの大きなコブ(株)です。しっかりしまった身は、煮込みにしたり、千切りサラダにします。日本では手に入りづらいのですが、セロリの株元を活用。上品な香りを煮込みに使います。

 

ところで、露地栽培のセロリは、一般に栽培されているものよりも個性が強いものです。

とくに葉っぱは緑も濃く匂いも存在感たっぷりなので、持て余しそうな部分です。そんなときはかき揚げ、つくだ煮がおすすめ。それでもたくさん葉っぱがあるときは、刻んで冷凍しておきます。チャーハンに、スープに、ぱらりと加えます。

 

レタスのサラダに使わなかったごわごわの外葉の部分は、シャキシャキ食感が持ち味なので、炒め物、みそ汁の実として、最後に加えます。キャベツの外葉もスープストックにおすすめです。我が家ではうさぎのおやつになることが多いですが。

 

種・ヘタ

ゴーヤの種もワタも食べられる、と知ったのはインド料理から。出始めから盛りの頃のゴーヤならば、そのまま1センチ弱の厚さにスライスし、天ぷらにしたり、軽く粉をまぶしてフライパンで焼いてみてください。かりっとした種の歯ごたえはクセになります。インド・ベンガル風にするなら、ターメリックと塩をまぶしてじっくりと焼きます。シンプルイズベスト!そんな歓声が聞こえてくるおいしさです。むしろ種のところが美味しいのです。

ピーマンの種、ヘタの部分は、やはりこれも若いときは丸ごと食べたいもの。オリーブ油と塩をまぶして鉄鍋に入れて蒸し焼きにします。とくに中まで加熱されると種はとろりと新食感。

また、ヘタからも種からも香りのいいダシがでるので、こちらも冷凍してとっておいて、スープストックに使います。

 

エッジの活用は工夫次第。「一物全体」という言葉にもあるように、ひとつのお野菜をまるごといただくというのは、野菜にとっても人にとっても、バランスのとれた食べ方だと思います。

とはいえ、なんとしてでも使い切らなきゃと闘志を燃やす必要はありません。

土っぽい、スジっぽい、汚れている、そんなときは無理して使いませんし、忙しくてできないときは、土に帰します。自然の寛容さにゆだねます。

 

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ニューアースキッチン16 顔の見える関係

 

 

16 顔の見える関係

店に行くと、オーガニック認証や有機認証の食品が並んでいます。

安心安全に材料を調達するうえで参考にする方も多いと思います。

 

私は認証のメリットも感じていますが、本当のところ、消費者と生産者の信頼関係を取り戻すことが今、もっとも必要なことだと思います。有機とは表示していないけれど大地想い人想いの野菜があり、窒素肥料過多でバランスを欠いている有機認証農産物も、あるからです。

 

1970年代にムーブメントが始まった日本の有機農業界は、有機が広がるにつれ認証制度の是否をめぐって議論が戦わされていました。

それまで、日本の有機農業は、生産者と消費者の「顔の見える関係」、支え合う関係を基本として育っていったので、認証制度というものは必要なかったのです。家族に食べさせたいものと同じものを、家族の延長のように消費者に手渡す。それが始まりだったのです。

食の安心安全への不安から、有機野菜や自然食品へのニーズが高まり、それとともに認証が必要になってきました。

議論が起こったのは当然のことだと思います。今ではすっかり当たり前になってしまいましたが、有機の認証制度が必要な食の構造そのものが、おかしい、ということをもはや忘れてしまっています。

ほんの100年前には「慣行農法(=化学農薬や肥料を投入する現代に一般的な農法)」という考えも「有機農業」という言葉もなく、人は生きていました。循環の中でちゃんと生きていけたのです。

 

認証制度は便利ですが、有機が当たり前ではない構造のパラドクスのなかでの制度、という冷めた視点を持ち続けることが、大切だと思います。

 

自給自足のネットワーク

 

私たちが現在の田舎暮らしを始めてほどなく、空いている畑を借してくれる人が現れ、野菜や穀物を育てるようになりました。成功も失敗も重ねながらの自然栽培です。草や虫に負けてしまうことや、太りきれずにささやかな収穫になることもあります。豊作決定、と喜んだのも束の間、猿に先を越されてしまうこともあります。それでも、命の循環のなかにある手応えを感じられる土のある暮らしは、二人にとって、なにものにも変え難い幸せだと感じます。

庭先でうさぎのピーターが遊ぶのを見守り、自家栽培や、勝手に元気に生えている野草を使ったごはんを食べながら、毎日「豊かだね」という言葉が湧いてきます。

人生にはいろんな課題がありますが、大地から食を直接いただく暮らしがあるというだけで、わたしたちに大きな安心感をもたらしてくれます。

 

同じような安心のインフラを、畑がなくても、田舎に住んでいなくても、持つにはどうすればいいでしょうか?

 

私たちは、小さきものたち、つまり菌類の生き方から学ぶことができます。

森の中のキノコや、菌類は地下ネットワークでもつながっていて、離れていてもインターネットのように情報交換をし、助け合いながら大地を循環させています。(「土中環境」や「菌ちゃん農法」を参照)

 

私は、日本の有機農業を研究していた頃から、ネットワーク的あるいは地域的な自給のしくみが必要だと考えてきました。

そこで、やはりかつての有機農業運動を支えてきた「顔の見える関係」がキーワードになります。

 

個々人が、あるいはコミュニティのグループが、農家さんと直接つながる、土とつながるセーフティネットをつくっておくことが大事だと思います。

土の中の小さきものたちのシステムを見習って。

 

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ニューアース・キッチン15 禅とパーマカルチャー

 

15 禅とパーマカルチャー

 

理想的なキッチン仕事は、エネルギー、時間、空間がほどよく関連し合って、有効活用されているものではないかと思います。動線もよいので労力も小さくて済み、光熱費や材料費などのコストも下がっていきます。そして、Eco-logical(エコ・ロジカル)、つまりエコ的に理にかなう、という相乗効果がついてきます。

 

理想的なキッチンのエッセンスを、私はかつて禅のお坊さんに教わりました。

 

師と修行僧、客人のために毎日の食事をこしらえる役の僧は「典座」と呼ばれ、禅宗では、この台所仕事も大切な修行のひとつと位置づけられています。曹洞宗道元禅師は「典座教訓 てんぞきょうくん」という、典座の心得を書いています。そのなかに、「低処低平・高処高平」という言葉が出てきます。

直訳すれば、低くあるべきものは低いところに置き、高くあるべきものは高いところに置く。ものの配置・流れについて説いた言葉です。

かつて私が住んでいた長屋のすぐ裏手には禅寺がありました。気さくなお坊さんが管理をしていて、私もお寺によく遊びに行きました。朝の座禅会の後は、お坊さんと一緒にお昼ごはんをつくりながら、実践「典座教訓」の心得を教わりました。

 

無駄なものがない、禅堂のなかの簡素な台所。贅沢と無縁の自給自足的暮らし。限られた食費。

そんななかで滋味なるごはんをいろいろとこしらえていきます。調理のために悠長な時間をむさぼるのもよしとはされません。

よく使う道具は、釘を打った壁に吊るされ、鍋やボウルは動線に合わせて手が伸びた先に配置されていて、効率がよくて手早く調理をすすめられるようになっています。

味に影響しない限り、いくつも道具を使うことをせず、ひとつの鍋、ひとつのボウルでできること、ひとつのプロセスにまとめられることはまとめて行うようにしています。洗い物も最小限になります。

 

修行というと堅苦しいイメージがあったのですが、お坊さん自らが嬉々として創意工夫を重ねる様子に、とても親しみを覚えました。道元禅師の説く「低処低平・高処高平」が生きている台所でした。

そうしてできあがったごはん。感謝を込めて、ときに畑や庭にゴザを敷いて、遊び心をもっていただきました。

 

フランスに亡命し「マインドフルネス」を説いたベトナムの仏教僧であり平和活動家であったティクナットハン。

マインドフルネスとは、呼吸を深めながら、今ここに意識をおき、味わうこと。日常を瞑想的に心穏やかに過ごす知恵です。彼もまた、台所が瞑想の場でもあり、マインドフルネスの実践の場であるように、と説きます。例えば、食べたお皿を洗うときには、赤ちゃんのブッダをお風呂に入れるような気持ちで取り組みなさい、と。水道から流れる水、洗剤、手の動き、清められた器。マインドフルなコミットメント(全集中)は、自ずとエコ・ロジカルな所作につながっていきます。

 

 

フランス料理の世界でも、同じようなことが大切にされます。

 

フランス料理でいう「ミザンプラス」とは、調理前の「下準備」を指します。直訳は、「あるべき場所に配置する」といったような意味です。禅の教えと同じですね。

そして、いざ始まったらすぐに調理に取りかかれるように、ミザンプラスによって空間と時間を節約するわけです。

当たり前のようですが、まず準備を整える。そして調理に取りかかる。

 

最初のミザンプラスというこの美しい所作が、やはり美しく、美味しい料理をつくります。

 

 

タスマニアのビル・モリソンが提唱する「パーマカルチャー」には、禅と同じエッセンスが見つかります。

 

パーマカルチャーは、農と暮らし、コミュニティのサステナビリティ・デザインが体系化されたもの。その土地の生態系(エコシステム)と、暮らしが調和することを求めて、もっともエネルギー効率がいいように、植物、家畜、人、コミュニティ、農園、建築物、お金など、関係し合うすべての要素がより生き生きとしていられるような配置をするデザイン体系です。

 

パーマカルチャーの理論は複雑で難解にも見えるのですが、ひとつひとつの項目を読み解いていくと、世界各地の優れた伝統的または先進的な農法が取り上げられていて、非常に具体的です。あたかも、自然や生態系は複雑に入り組んだしくみですが、それを体で感じるのと同じように。

 

時間軸、縦横の空間軸、といろんな角度から、地球にも人にもやさしい方法を見つけていくパーマカルチャーに興味をもち、私はオーストラリアで学び、パーマカルチャーデザイナーという資格をもらいましたが、役に立っているのは、具体的なデザインのみならず、むしろパーマカルチャー的思考軸そのものです。

 

キッチンという環境のなかでどのように効率よく収納し、使いやすく道具を配置するか、調理の手順をどうするか、頭の体操をする際にも、大いに役に立ちます。

 

のちに解説する、多様性、端っこのちから、時間的な流れ、身近にあるものを利用する、など、私の料理軸には、パーマカルチャーの思想が深くからんでいます。

 

禅、フランス料理、パーマカルチャー。

時間と知恵を重ね体系化されたもののベースには、共通して理にかなった美しさがあります。

 

 

これを書いていて、私のとある経験、長年参禅しているという知人に1泊二日の座禅会に連れて行ってもらったときの、朝のお粥の時間を思い出しました。朝の長いお勤めが終わり、静かに朝食を待つ私たちのお椀には、待ちに待ったお粥が注がれ、次いで、沢庵や梅干しが回ってきました。

 

そこでは、最初から沢庵をボリボリかじりながらお粥をいただくことは、どうやらNGのよう。なぜなら、ボリボリ音をさせているのが私ただ一人だったから。ハッとして、ヒヤっとする汗を脇に感じながら、様子を伺いました。どうやら私以外は全員、梅干しをおかずにお粥をいただいた後で、お椀にお茶が注がれ、最後に沢庵でお椀を拭って掃除して締めくくっているではありませんか!!

そのときでさえ、だれも音を立てずに器用に沢庵を食べるのには驚きました。想像してみてください、静かな座禅堂に、私の沢庵ボリボリ音だけが響いたのを。一度口に入れたものですから、もう後戻りもできません。

さらに修行僧は、そのお椀を布でふいただけでしまう。

まあ、なんと水を汚さない、エコな食べ方のお手本だろう。そう感心したのと同時に、理にかなった順序というのがあるものだ、と感心しました。

 

 

他にも、私のキッチンでこれらのエコなロジックがどう活かされているか、ささやかな事例ですが、あげてみましょう。

 

植物性材料の焼き菓子を作るとき、レシピの基本はいたってシンプル。

粉類であるドライ、そして水分であるウェットの二つです。あとはここにフルーツやナッツなどの固形が加わります。ウェット材料には、油のほか、シロップや豆乳を使います。

ウェット材料を計量カップで計ってボウルに入れる際、油を先に。つるっと滑って次に同じ容器でシロップを計る際にこびりつかないから。最後に豆乳。そうすると、計量カップがきれいに掃除されて洗うのもラクなんです。ただし、レモンの酸と豆乳のタンパク質は混ざると凝固反応を起こしますから、そこは別にします。

 

お菓子づくりにも、料理の際にも、影響がないと思われるものは同じボウルやバットを使い回し、まな板も汚れない、匂いの強くないものから先に切りはじめ、調理途中は汚れたら清潔な布巾で一拭き。不要な洗いのプロセスを最小限にします。

 

キッチンで出る生ゴミ。今は田舎暮らしになり、コンポストができる環境にあるので、バケツに直接入れて米糠などを混ぜ入れ、その後土に還します。

土に還せない環境にいたときは、いろいろ試行錯誤の結果、私はシンクのスペースに三角コーナーを置いたり、排水口のバスケットに溜め込んでいくのもやめました。小さなバケツにレジ袋をかぶせておいて、出た生ゴミや食べ残しはそこに直接入れていくようにしています。濡れずにすむので、水切りも必要なく、結果的にストレスが少ない方法です。

 

調理台では、かならず野菜くずは出るので、切ったものを入れるボウルやバットとは別に、野菜くずを入れるボウルも用意しておきます。お芋類やたまねぎの皮をむくときは、新聞紙を広げた上で作業し、新聞紙ごと包んで処分します。

水菜やニラ、レタス、春菊など葉っぱを下ごしらえするとき、最初に洗うのではなく、やはり新聞紙の上に広げ、最初に傷んだところや変色している部分をトリミングします。その後たっぷりのきれいなお湯のなかでやさしく洗うと、土埃や小さな虫もはがれて、葉っぱがしゃっきりとして、洗うプロセスが短縮されるばかりか、濡れた生ゴミが出ることもありません。

 

体を動かしながら、自分にも、エコ・ロジカルにもちょうどいい動きや順序を発見していく、そういうところもキッチンライフがクリエイティブである理由のひとつだと思います。ほどほどに、おおらかに工夫を楽しんでみてください。

 

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ニューアースキッチン14 切るの多様性と調和


14 切るの多様性と調和

 

豪快さを出したくて、ゴロゴロと大きく切る。繊細さや優しさを出したくて、丁寧に細かく切る。同じ料理なのに、切り方ひとつで料理の印象は変わります。ここにも多様性と調和の法則がはたらいているのが見えます。

 

料理をしながら、私はよく切り方について思いを馳せていました。たたく、削る、おろす、擦るといった、カット界の辺境にいるような、包丁をほぼ使わないファジーな方法について。なにか縄文感覚?を呼び覚ますような切り方について。

 

カンボジアの友人からもらった包丁があります。素朴な木のハンドルに、2枚の刃が真ん中で少し重なるようにくっつけてあり、真ん中には隙間があるので、そこがピーラーになります。刃はそこまで鋭くは研がれていません。

青パパイヤのサラダをつくるときに、カンボジアの人たちはなめらかな手つきで、空中でその包丁を動かして、すべてを済ませます。まずピーラー部分で皮をむいたら、刃の部分を縦に細かく果実に当てる。カカカカと、その様はキツツキのような素早さと確実さです。その後またピーラー部分で削ぎ落す。そうすると千切りがいとも簡単に完成。

水が張ってあるホーローの洗面器のなかでアクを抜いて、水切りしたあとは、木をくり抜いた鉢のなかですりこぎを使ってニンニクや生のインゲン豆やピーナッツ、トマト、それに唐辛子を砕きながら、たたくことで味をよーく馴染ませ、ハーモニーのあるサラダができ上がる。そう、ここではさらに、「たたく」という手法も使っています。

 

まな板を使わずに調理する方法は実は多いようです。ズボラということではなく。

私の目の前で、ギリシャのお母さんは、ペティナイフひとつで野菜を乱切りにして鍋に放り込んでいきました。日本在住のモロッコ人女性の教室に行った際、彼女は手に持った大きなたまねぎを空中でみじん切りにしてしまった。今見たのはなんだったかな。キョトンとしてしまうほどの、目を見張るスピードで。

アジアの屋台や市場でも、女性たちはまな板を広げずに、ブリキやプラスチックでできたチープな便利グッズを駆使しています。コーラのボトルのフタのギザギザでココナッツの胚肉を削って、ココナッツミルクをしぼったり、あるものを最大限活用するたくましさと創意工夫。見ているだけで心が躍ります。

 

そういえば日本の家庭料理でも、たたく、擦る、という、調理をよくしますよね。

本来はシャキシャキの歯ごたえがある野菜。わざと叩くことで、シャキシャキしつつも繊維がほぐれて、食べやすくなります。そして、切ったのとは違って、断面(エッジ)が複雑に増えます。そうすると調味料との接点も増えるわけで、ごぼうも、レンコンも、キュウリも、断然、味がしみ込みやすくなります。

 

ハーブはナイフなど金気のあるものを避け、ちぎるようにします。不規則な断面が生まれ、そこから香りがふわっと立ち上ります。サラダの葉っぱもちぎることでドレッシングの馴染みがよくなり、お皿の上に動きが生まれます。

 

 

断面(エッジ)を増やすといえば、おろすという切り方?ですね。水分もたっぷりと出てきて、やさしい口触りになります。高熱で何も食べられないときに、りんごのすりおろしなら食べられた、という経験がありませんか。すりおろされた大根は酵素をたっぷり出すので、消化を促し、魚や脂っこいものがさっぱりと食べられるようになります。

おろし器は用途に合わせていくつかを使い分けていますが、私のお気に入りは、竹でできた鬼おろし。粗く不揃いなおろしができるので、大根も人参もサラダ感覚で食べられるのです。

 

カッティングしない、という選択肢もあります。なにもしないでそのまま、マルのまま。

若いピーマンなら、ヘタや種もそのまま、鉄のスキレットで素焼き。破裂しないように、数カ所竹串で穴をあけておいて。仕上げに醤油をじゅっと垂らして。かぶりつくと、なかからピーマンの香り高いジュースとともにプチプチの種が出てきて、口のなかが幸せになります。ほろ苦さがたまりません。ヘタも食べられます。塩とオリーブオイルだけで十分です。

 

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ニューアース・キッチン13 多様性と調和

 

13 多様性と調和

 

私がメニューづくりをする際には、なんとなく頭の中に描いている「多様性と調和」マトリックスを使います。いろんな食材や料理があって飽きない、それでいてテーブルの上でうまくまとまっている献立にするための指標です。

 

お手本は、自然界・生態系のありかたです。

タイプの違う要素、ときに対極的な要素が、同じ場所に無理なく混在している状態。偶然バラバラに一緒にいるというよりは、お互いを引き立て合い補い合っているバランス状態。そう、関係し合っている状態です。

 

古今の知恵も借りて、言葉にしてみるとこのようになります。

 

五味

 

甘み・酸味・塩味・苦み・うま味  

 

中国の陰陽五行説では、うま味ではなく辛みを五味としています。

他に、渋みという味覚もありますね。山椒のように、しびれる味覚もあります。

 

デザートビュッフェに行くと、最初嬉しく、だんだんと苦行になってきます。いろんな味がほどよく混ざっている食事は、舌も脳も飽きを感じません。

 

スイーツといえば、マクロビオティックでも、お菓子やデザートづくりの際、果物などの甘さを引き立てるためにごく少量の塩を入れます。塩を加えた途端、甘さを一気にバックアップしてくれます。たとえ塩味として感知しなくても、です。

和菓子、アジアンデザート、そして世界的に流行している塩味スイーツも、やはり甘さと塩の関係を活かしています。

あまから、うまから、甘酸っぱい、という王道の組み合わせも、世界共通で愛されています。

 

五色

 

白・黒・赤・黄・緑

 

色とりどりのベジ料理は、それだけでもう食べるカラーセラピーです。

野菜がくれる、自然の色を大いに活かしましょう。カラーが揃うと、栄養のバランスも自然と整います。

昔ながらの自然食にありがちな、テーブルの上がなんだか茶色いぞ、ということにならないようにしたいもの。私も、自然食の茶色い料理から脱出するために、さまざまな料理世界に首を突っ込んでは、試行錯誤の研究をしたものです。それもかつての話です。今では自然食も全体的に彩り豊かなものにバージョンアップしたように思います。

 

ここまで書いておいて、茶色の汚名返上のために一応いっておきますが、そもそも茶色は、おいしい色です。玄米に、ごぼうに、全粒パン・・・ナチュラルカラーの代表です。私たちの健康的な肌の色と同じ、どんな色とも相性のいいカラーです。

醤油や味噌を使うと茶色になるし、よく煮込んだり焼いたりするとやっぱり茶色になっていきます。料理をすれば、色は濃くなっていくもの。陰陽の考え方でいえば、体を温める「陽」の要素が強くなります。

食卓の半分が茶色であっても大丈夫。その分、フレッシュカラーをサポート役にして、彩ってあげましょう。

 

五色が揃わない。だけど毎回揃えられなくても気にしないこと。なんだか食卓がに色が乏しいな、そんなときは器やグラス、テーブルマット、お花なども手伝ってくれますよ。

 

五感

 

視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚

 

そう、美味しさを感じるのは、もちろん舌だけではありません。

見た目、音、匂い、歯ざわりや舌触り、美味しいものは五感で訴えるのです。

五感に訴えるベジ料理、目指したいですね。

 

さあ、テーブルから、どんな擬音語や擬態語が聞こえてきますか?タイプの違う音が聞こえてくると、より変化を楽しめることになります。

 

五感の表現リスト

 

もちもち 

ふわふわ 

ふかふか 

とろとろ 

ふるふる 

じゅわぁっ 

しゃきしゃき 

こりこり 

かりかり

サクサク 

ぽりぽり 

パリパリ 

ガリガリ

プチプチ 

しこしこ 

つるつる 

ヌガッ 

ねっとり

ネバネバ

ぬるぬる

どっしり 

こってり 

さっぱり 

ピチピチ 

アツアツ 

グツグツ 

ひんやり 

ぽってり

 

こんなにたくさん!まだまだ見つかりそうです!

 

五穀

 

穀物や豆を指します。米・麦・大豆や小豆などの豆類・粟、稗、キビ、アマランサスなどの雑穀類、トウモロコシ・ソバなど粒状の実。炭水化物が多いので、世界中で主食となるものです。私は、穀物・豆で、ハンバーグやミートローフなどメインディッシュをつくります。歯ごたえもあって、さすが主食格、満足感があるのです。

付け合わせとしての使い方もできるので、ごはんやパンのように主食以外にも、ひとつかふたつ、五穀入りメニューを加えてみるようにするとテーブルが華やぎます。スープに一緒に入れる、サラダのトッピングに、など気軽に使えます。

 

五大栄養素と微量栄養素

 

当然のことながら、栄養素も多様性の世界です。

テーブルの上の栄養的バランスがとれているか、チェックしてみましょう。五味・五色・五感・・・今まで見てきたような多様性をもったテーブルなら、栄養の多様性も自ずと見つかるのではないでしょうか。

 

お米、麦、豆、お芋、かぼちゃ、パスタなど、穀物の炭水化物群や、腹持ちのいい素材は、こればかりでメニューを構成しないようにと、覚えておくとよいと思います。当初昔ながらのマクロビをやっていたときは、穀物重視で、ここに偏りがちでした。

 

多様性を考えると、いろんな種類の食材が必要になってきます。ですが、基本は旬のお野菜の範囲内で。自然の相応以上に欲張らなくても大丈夫です。次の季節には次の多様性が入ってきますから。

 

ばっかり・づくし料理

 

田舎暮らしをしていると、ありがたいことに茄子が旬!大根が大豊作!また里芋いただいちゃった!なんて、嬉しい悲鳴をあげるときもあります。

ひとつの野菜がふんだんにあるとき、保存食にしたり、たっぷり食べてもらえるようにメインディッシュの役を与えたり、形を変えて複数の料理に登場させたり。

こんなときこそ、多様性とバランスを考えながら、飽きない料理をつくるのが、料理人の腕の見せどころです。

 

やさしいだけではなく

 

ほかにも、料理にメリハリをつける指標をあげてみます。対照的な要素を、組み合わせることで、自ずと料理の表現は多様になり、五感が活性化します。

 

 

冷たい料理 ⇄ 温かい料理 ⇄ 常温の料理

 

やさしい味 ⇄ 刺激的な味 

 

あっさり味 ⇄ しっかり味 (軽い 重い)

 

加熱したもの ⇄ 生のもの

 

手をかけた料理 ⇄ 手をかけないシンプルな料理

 

ドライな料理 ⇄ ジューシーな汁気多い料理

 

脂っこいもの ⇄ さっぱりしたもの

 

 

ベジを扱う上でとくに私が意識しているのは、やさしさばかりのお料理にならないように、ということ。

なぜなら野菜は、受容的な、優しい性質を本来もっているから。

優しい野菜料理をつくることは、野菜の得意技。

しかし野菜だけの料理を、バリアフリーにいろんな人に満足してもらいたくて準備するとき、「あなたってとってもやさしい人だけど、もの足りないわ」なんて言わせないように、ちょっとワルでやんちゃなイメージも漂わせたい。

そこで、「植物の動物化」によって肉食系ベジのおかずを一品入れたり、歯ごたえをしっかりめにしたり、味をしっかり効かせたりと、やさしさに対してのメリハリをつけるのです。

 

こうして見てきたように、ひとつひとつの料理は対極的な要素でできたマトリックスの、どこかに位置づけられます。

いい塩梅に分散しているとメリハリがあるメニューということになります。

メニューづくりは、かくしてあなたのなかに自然に備わっている平衡感覚を呼び起こすことにもなるのです。

 

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ニューアース・キッチン12 メニューを発想する

12 メニューを発想する

 

メニューや料理をどう思いつき、決めていくか。私はこのように発想していきます。

 

ノート、またはA4の紙、なんでもいいのですが、紙を広げます。集中できるように近くのカフェに出かけることもあります。

 

まず、テーマ(目標)と、メニューに求められていること(ニーズ)を確認します。

蒸し暑い日が続いて、食欲も落ち気味のときのメニューがテーマだったら、さっぱりと食べられる献立で、なかにはパンチの効いたものをひとつは入れたものにしたい、というニーズがそこにはあるかもしれません。

たくさん採れた特定の野菜を七変化させるのがテーマだったら、飽きないようにいろんな料理に変身させたい、新鮮なうちに食べるもののほかに、保存食や発酵食にも活かしたいというニーズも見えてきます。

日々のごはんをつくりたいのか、おもてなしのお食事なのか、というムード的なニーズもチェック。

目的地の大まかなイメージを頭の中に、または紙の上に描いておきます。

 

次のカギは「いま、ここ」。目の前にある要素をよく見ることから始めます。

 

店に出回っている旬の野菜、今ある在庫、イチオシの食材。

まず「いま、ここ」にある要素を観察し、思いつくままにノートに羅列してみる。

 

そこまでいったら、「一休さん」の時間。子どもの頃テレビ漫画で見ていた、実在の一休和尚さんをモデルにしたあの一休さんです(今はわからない人も多いかな〜)。

一休さんは、気が弱くて、ドジをしては和尚さんから怒られる、小僧のキャラクター。しかし難題にぶつかったときには、座禅を組んで、待つことしばし。名トンチを思いつく。やってみる。そして問題は丸く収まり誰もがハッピー!となる、あれです。 

 

カフェで座禅を組むわけではないですが、お題を宙に浮かしたまま、お茶を飲みながらリラックスモードでしばし過ごします。もちろんむにゃむにゃと考えたりもします。

そのうち、いろんな断片的なイメージがよぎってきます。ふむふむ、と書き留めたりして過ごします。そうするうちにごちゃごちゃしていた糸がほぐれてきて、料理のアイデアが降りてきます。やはり気になったら書き留めます。

 

次に、料理同士の組み合わせもお題にします。

心地よい、そして楽しい食事には、いろんな点でメリハリとバランスが大切になります。詳しくは後の項に書きますが、栄養バランス、材料、調理方法、味付けなど、多様性を意識しつつふたたび一休さん。こうして、落ちてきたものをノートに書き留めていきます。

 

このプロセスの中で、どの材料を使って、どんな調理法でつくるのかが見えているので、実際に作るときのレシピは、大部分が完成しています。

キッチンに戻り、確かめるように再現する。ちょうどいい分量を出していく。そのような順番で料理をつくっていきます。

この一休さん的リラックスティータイムは、メニュー決めを急いでいるときこそ、効果的です。

 

一休さんの時間は、目的地をクリアにして、データベースから必要なものを取り出す作業時間。このときのコツは、自分と、自分を包んでいる森羅万象の世界との境界を曖昧にして、限られた経験知識だけに頼らないつもりくらいにしておく。世界には、アイデアや美しいものや美味しいものが満ち満ちていて、地球の自転とともに今自分がお茶を飲んでいるカフェの空中にも漂っているから。 

自分一人で生み出そうと思わずに、お題を一度空中に投げて、名トンチならぬ、ぴったりのメニューが降りてくるのを受け取る。

 

とにもかくにも、ふるいにかけられた、「いま、ここ」にとってのベストアンサーが降りてきます。ついでに気分もすっきりリフレッシュ。これまでにしでかしたトンチンカンな失敗の数々だって、いい肥やしとなって、データベース入り、しっかり役に立ってくれます。失敗の苦い思い出は引きずらないで、空中に投げて熟成を待ちましょう。

 

もちろん料理サイトや料理本も大いに活用するとよいのですが、この、デジタルを切って、自分とつながるメニュー発想時間は、瞑想のような、豊かな時間。

メニューづくりで目指す地点は、ハーモニーのとれた、気持ちのいい食卓です。

 

 

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ニューアース・キッチン 11 植物の動物化

 

11 植物の動物化

 

「え、これ本当にお肉使ってないの?」

そう驚きつつ、嬉しそうに食べてもらえたらこちらも、よっし、とガッツポーズ。

生まれてこのかたベジタリアンという人でも、「お肉っぽいもの」は喜ばれることが多いです。

 

そこで、その「お肉っぽさ」の正体とその魅力とはなんなのか、あらためて分析してみることにしましょう。

 

お肉の弾力や、噛み応えには、野性本能的な食欲が刺激されます。

なによりも、肉質の主なものは、タンパク質成分。強いうまみはアミノ酸ですが、これもタンパク質。

ヨーロッパには血のソーセージ、アジア圏で血のチーズなどがありますが、血液料理もやはりタンパク質を凝固させてつくります。

 

さらに匂い。煮えるとき、焼け焦げるときの匂いで、人はすでにそこにあるうま味を想起します。

コラーゲンがたっぷりの、ゼラチン質の部分。煮込みをしたときに、冷めたら煮こごりになっている部分です。これも、タンパク質が主成分。食べなくても、照りやジューシーさを見ただけで、「おっ」と思うでしょう。

 

ときどき感じるスジっぽさ、これもお肉精神を脳に伝えてくれます。臓器やスジには、噛み応えがあり、歯で引きちぎるときの抵抗感があり、パテやソーセージをつくったときに、お肉を食べているぞという信号になりますよね。

 

そして、脂質もお肉のもうひとつの要素です。

皮目が、パリっ、かりっといい食感に焼かれるとき、これも脂やコラーゲンがうまく溶け出てくれるから。

霜降り肉や、フォアグラの口溶けのやわらかさは、口のなかで融点を超えた脂の仕業。

 

料理写真を撮るとき、「シズル感」というものを大切にするということをカメラマンの友人から教わりました。見ていてよだれが出そうになるような訴求力です。みずみずしさ、フレッシュさ、ジューシーさ、照り、ぐつぐつと湯気をたて今まさに炊きあがった様子。臨場感がある写真は、即、食欲にもつながります。そう、脂はシズル感と直結します。

 

植物材料でお肉のようなお料理を再現するときには、これらのお肉がもつ要素や、お肉からくる感覚をいくつも取り入れてつくります。私はこれを「植物の動物化と呼んでいます。

このためには、「植物の力」を知っていることが大切です。

 

タンパク質が豊富なお豆、これはベジタリアンでなくたって納得です。

中国の精進である普茶料理では、湯葉や豆腐のみならず、大豆製品が、食感も見た目もまるで本物のお肉や魚介類のようにして、活躍します。

 

どっしりとした食べ応えの役目は、穀物が得意です。玄米、雑穀、挽き割り小麦、粉類を入れると、重みとともに、粘りも加わるので、ハンバーグなどつなぎを必要とする料理にはとてもいい役目を果たしてくれます。

 

森のキノコは土臭い香り、そしてちょっと筋肉質のある歯ごたえ。強烈なうま味をもっています。さすが菌類、単純に植物呼ばわりできない中間的存在。その分、味が動物にも近いのでしょうか。

 

ごぼうもコクとうま味は得意です。土臭さはお肉料理にも通じるところがあり、実際お肉と炊き合わせるととても相性がいいのもうなずけます。臭みで臭みを封じる、いやむしろ高めてくれます。相乗効果がありますね。繊維質が多いため噛み応えがあり、食べる楽しみにつながります。色の濃さもお肉に似たポイントです。

 

にんにく、しょうが、たまねぎ、人参、セロリなどの香味野菜は、うま味も豊かであるばかりか、お肉の匂い消しにも使われる好パートナー。実際、大豆たんぱく製品、麩など、植物性のタンパク質を使うときでも、下味として香味野菜を使うと、たんぱく特有の臭みが和らぎます。

香味野菜が入ると、お肉料理を彷彿とさせる香りを得られます。焼き肉のタレを使えば、野菜炒めのはずが焼き肉定食の匂い。そのタレにはにんにく、しょうがのほか、さまざまな野菜・果物、調味料、ハーブ・スパイスが入っています。お肉の味を引き立ててくれる材料がいろいろと使われているのを発見できます。

 

脂の代わりなら、良質の植物油を使うことができます。コラーゲンのぷるぷる具合は、寒天、葛、その他でんぷんで再現することができます。かりっとした食感は、小麦粉やパン粉、米粉などの衣をつけて焼く、揚げるなどにするといいですね。照りはうまみも豊富な調味料である、みりんやお酒、醤油、ワイン、果汁、そしてそこから引き出される糖分からも実現されます。

 

動物性食品の「うま味」が、満足感のカギのひとつなのだということがわかると、ベジ料理でも素材のうま味を引き出すことが、食べて満足、の料理をつくる秘訣だということもわかってきます。うま味を引き出す料理術は、この章の後半で伝えたいと思います。

 

ただし、お肉料理オンパレードのごちそうでは疲れてしまうのと同じで、うま味抜群の「動物化」した野菜料理ばっかりになると、やはり飽きがきてしまいます。

そこで、コクやうま味のあるものがあれば、足さない・引かない・引き出さない、そのものの美味しさを味わうシンプル料理がある、といったように、重さと軽さのメリハリをつけてあげると、テーブルの上はいいバランスになります。

 

このお肉の分析と「植物の動物化」の手法を、卵、魚など他の動物性食品にも応用して、新レシピを発明してみていただけたらと思います。

 

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ニューアース・キッチン10 ヘルシージャンクフード


10 ヘルシージャンクフード

 

ジャンクフード。

ジャンクフードに限らず、ファストフード、B級グルメといわれるものにつきまとう、ちょっとワルなイメージ。

高カロリー。高脂肪。高コレステロール。添加物たっぷり。

野菜がほとんど入っていないか、入っているとしても加工の末微量栄養素も食物繊維もほぼゼロ。

甘いか、しょっぱいか、辛いか、はたまたその全部。とにかくも味がはっきりしている。

この手の食べものの特徴といったら、概ねそういうところでしょうか。子どもの「食育」には入れたくない食品群です。

 

あまり健康的な食品ではないことはわかっている。なのに、そういうものがむしょうに食べたくなること、ありませんか。

 

健康志向のあなたの心の底に潜む、ジャンクフード心に注目!フタをしてしまうことはありません。

 

ジャンクなイメージのヘルシーフードをつくればいいのです。

手づくりなら添加物の心配は無用。オーガニックの材料と、天然の調味料にスイッチして手づくりしたら、ジャンクフードはヘルシーフードに変身します。

 

ヨシベジは、ジャンキーなものはジャンキーに、ああ、やっぱりこうでなくっちゃ、な味を出すために探究心を燃やします。

たとえばベジバーガー。ソースは濃厚気味に。バーガーのパテは、ハンバーガー屋のあの感触をイメージしながら手づくりします。といってもイメージしているのは大手のそれではなく、さしずめ本物志向の、私のふるさと長崎の佐世保バーガーのイメージでしょうか。何種類もの植物材料を使うパテづくりのプロセスは、レシピとしては少々込み入っていますが、これこそオールベジタブル料理の醍醐味でもあります。パテを焼いているときの、鉄板から漂う匂いは、不思議なことにまさにハンバーガーショップなのです。

 

バーガーバンズにマスタードを効かせて豆乳で作ったSOYマヨネーズをたっぷり塗って、焼き上がったパテとともに野菜をたっぷりはさみ、ケチャップや手づくりソースもじゅわっとジューシーに効かせます。ここに、生のジャガイモからつくったフライドポテトと自家製ジンジャーエール、作りおきのピクルスがあれば、ジャンキーなシチュエーションは完璧です。

 

先に、ヒントは至るところにある、と言いましたが、実は、自然食品と対極にあるような一般的な

加工食品も、例外ではありません。

食品表示のラベルに書ききれないくらいの添加物を駆使した加工食品は、スーパーの商品棚のほとんどを占めています。

裏をひっくり返してみると、メーカーの創意工夫に感服します。方向性はまったく違うものの、発想がクリエイティブであることは間違いありません。

乳化剤、増粘剤、○○エキス、香料・・・それぞれの添加物や材料に、役割を計算し尽くして入れられたものだから、その入れた理由に、なるほど!と教えてもらうことも多いのです。その効果を出すための要素は、もともとは天然の食材のなかにあるものです。味の安価さと大量生産・大量流通を可能にするために、添加物を入れるのだけど、キッチンではその必要がありません。むしろ、わざわざ不自然なものを食べもののなかに、入れる理由がありません。

まず「源~みなもと~」に戻ってみましょう。

うまみのもとであるアミノ酸を、化学調味料に頼る代わりに、そのオリジンである昆布を使う、というところから始めてみます。さらに干し椎茸や香味野菜など、ダシ力のある素材でバックアップしよう、などというふうに発想を広げます。魚がオッケーなら、煮干しや鰹節も使います。

増粘剤はなるほど、食べていてぱさつかない、結着力がある、などの効果があります。同じく粘り気やなめらかさを出すためには、どんな天然の材料があるのかな。そうだ、葛粉を入れてみよう、もしくはとろみのある山芋を加えてみよう。

こんな発想のゲームは、独りきりでは成り立ちません。食のあるところ、食のために執念を燃やしてきた先人がいます。不自然な食品開発の場にも。

至るところにあるアイデアを逆活用して、体が心地いい、ナチュラル路線に変換してしまいましょう。

 

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ニューアース・キッチン 9 旅先のストリート

ニューアース・キッチン

~台所で母なる地球の声を聴く~ 

 

9 旅先のストリート

 

旅先での食事、それは旅の最大の楽しみのひとつでもあり、料理の発想の引き出しを豊かにしてくれる素敵な「スーヴニール(お土産・思い出)」でもあります。

 

「食べる=生きる」の原点に触れていたくて、私のアジア旅の思い出のなかには、ストリートに限りなく近いシーンがいっぱいです。

 

インド、コルカタ

夜も明けないうちから外はすでに一日が始まっている気配。私はざわめく通りに出て、道端に並べられたベンチに腰掛ける。直火であぶったトーストにバターを塗って、やかんから素焼きの茶碗に注がれるちょっと土臭い熱々のチャイとともに、朝ごはん。じんわりと、目が覚めてくる。日が昇り、だんだんと、空気が熱くなってくる。

 

何度となく足を運んでいるカンボジアの首都、プノンペン

お惣菜の屋台は、路上あちこちに出ているから、お腹が空くとふらりと立ち寄りたくなる。たらいやホーローのお盆に入った数々のおかず。「これとこれとこれ」。指差して、ごはんと一緒に食べると、かなりの満腹。市場で見かけ気になっていた野菜の使い方をここで知ることも多い。

 

川沿いにあるハンモックレストラン。屋根と骨組みだけの簡素な小屋にハンモックがだらりと下がり、その上に腰掛ける。夕暮れ時、友達とのんびりおしゃべりしながら、ハンモックをゆらしながら、ちゃぶ台に並んだローカル料理をつまむ。なまあたたかいメコンの風が、ひと口ごとに体のなかに浸透していくよう。

 

ラオス、風光明媚な渓流のほとりの道端でのこと。

タレに漬け込み炭であぶり焼きにした豚のリブ肉が感動する美味しさで、それだけ食べていたらよかったのに、川の水で洗ったであろう付け合わせの山盛りフレッシュハーブを一緒にむしゃむしゃした私だけが、お腹を壊して数日間寝込んだこともあったっけ。

 

ネパールの山岳の村。

歩き疲れてお腹が空いたところで目に入ったMOMOの看板に導かれて入った簡素な小屋のようなお店。ベジモモ(野菜の蒸し餃子)を頼むと、裏の畑で野菜を採り始めるから、私も付いて行って、収穫を手伝ったり、作る様を見学したり。オーダーして1時間近くかかってできたベジモモ、もう味は忘れてしまったけれど、ただお客で食べるよりもなぜか有難く感じて。

 

ストリート、屋台、市場、農村。

旅に出たら、私はそんな素朴な場所を訪ねるのが好きです。

山深い集落で、自給自足とわずかな現金収入で簡素な暮らしを営む人たち。食べているものも、シンプルです。

ときには、紛争などによって社会経済が乱れた地で、路上やスラムでたくましく生活する人たちとともに過ごすこともありました。

 

「食べる」と「生きる」の距離が近い暮らしです。

 

「食べる」が、一方で生きる目的から離れて、料理が、まさに「食い道楽」と言われるように道楽の対象になり、グルメや美食と言われ、はたまた芸術や教養や文化遺産になりもします。

 

旅に出ると料理家の立場、そして旅人という第3者の立場で、どちらの体験も「食べる」という共通項で、フラットに見ることができる。

そしてあらためて思います。

生きるために食べる、って愛おしい。

そして、食をアートとして高め深めつつ精神文化に引き継いでいくことも、やはり愛おしい。

 

今日も繰り広げられる、世界中の食べるシーンのために、世界は平和でなくてはならないし、地球は美しく豊かでなくてはならない。

私の料理の発想の下には、ごく自然なこととしてその願いがあります。

 

自給自足の小さなコミュニティが成り立っていた頃は、農業漁業、そして狩猟・採取と、食べものが近いところで見えていたし、食生活と自然環境との関係性もわかりやすいものでした。

地球を汚さない食をつくろう、大地と人の健康を害せず作られたもの・採られたものを使おう。そんなことをわざわざ考えていなくても、自然に配慮ができた時代がありました。

食が産業になりグローバル化してしまった現代では、そういった食の原点や関係性は見えづらくなってきます。

 

だから、イマジネーションを忘れずに。

根っこのところのベクトルはいつも、地球的にハーモニーのとれた料理、に設定しておこう。

そう思いながら私はキッチンに立ちます。

 

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ニューアース・キッチン 8 自然が教えてくれる

ニューアース・キッチン

~台所で母なる地球の声を聴く~ 

 

8 自然が教えてくれる

 

質問を投げかける。母なる地球に、聞く。

すると、どこからともなくひょこっとメッセージがやってくる、ということがあります。

 

私の場合聞こえてくるのは、大抵、原っぱとか山の小道を歩いているとき。そして次にいく道を決めたくて、答えが欲しいと思っているとき。いつもなぜか、なんとも心地のいいそよ風に乗って、今必要としていた言葉がやってくると、それはすっーと、からだの腑に落ちていきます。3秒前までのあの迷いはなんだったんだろうと不思議になるくらい、心は決まり、落ち着きます。

おもしろいことには、その声が私に届くときは周りの環境も整っているもの。機が熟す、という言葉の通り、自分にも準備ができ、周りでも準備完了。

直感は、自然のリズムと呼応しているのでしょうね。やっぱり、ヒトは、生き物です。

 

仲間がいる長崎を離れて東京に行くことにしたときも、大好きな自然食を仕事にすることにしたときも、山や、緑道でふと聞こえてくる声に従いました。

 

こんな経験もありました。

2001年の頃、自然食や飲食の仕事を経験しながら、私は学生の頃から利用していた埼玉の有機食品輸入会社が始めようとしていたカフェを、その立ち上げから携わることになりました。途中、他店での修行とアジア放浪のため抜けたものの、数年間、大好きなオーガニック食材に囲まれて、シェフとしてカフェのメニューづくりと運営に取り組みました。

 

ベジタリアン料理の可能性をさらに独自に追求し発信するために、そのうち独立しよう、という気持ちはありました。

その前に、ベジ料理そして食文化そのものへの理解をもっと深めたいと思っていました。会社を辞めたらしばらくの間は、ヨーロッパに出ようと計画を立てました。

身の回りの環境を整え、アパートの引き渡し日も迫り、インターネットでリサーチをしていた私に、そよ風は開け放っていた窓から部屋の中に入ってきて、「日本にいて、自分のベースをつくりなさい」と語りかけてきました。メッセージはやけに断定的です。でも、瞬間的に納得していました。とはいえ突然の出来事だったので、すぐに私のもっとも信頼する友人に電話して、「こんなことがあったのだけど、どう思う?」と意見を求めました。

答えは、意外なくらいすんなりで、「ヨシ、それはあなたにとってとすごくいいと思うよ」と、心からその方向転換を祝福してくれました。受話器を置いて、私はすぐに引っ越し先をインターネット検索し始めました。数分前まで、滞在先となるフランスの有機農家のリストとにらめっこしていたのに、です!

1時間も経たないうちに、私が行ったことも聞いたこともない地域の、ある1軒のマンションの見取り図が、ひどく気になりました。

写真もないのに、すでにそこで料理を教え、庭を広げて植物を育てるイメージが見えました。すぐに不動産屋に連絡して見せてもらい、数日内には契約、引っ越しの日取りも決まりました。引っ越しには、友人と、初めて会う友人の友人がなぜか手伝いたいと申し出てくれ車まで出してくれて、それで荷物を運ぶことになりました。おまけに、仕事で日本に来ていたアメリカ人のシェフ仲間が、たまたまその日はオフだから、と手伝いに来てくれました。

突然の進路変更から引っ越しまで、あっという間。それは、内なる声に従っただけの、完ぺきにできた綱渡りでした。

 

東京郊外のちょっと不便な場所でしたが、地元農家さんとのつながりや国立との縁も生まれました。

人前で話をしたり、教えたりするのは苦手だったので、料理教室にはこれまで食指が動かなかったのに、あの風が吹いてきた直後、なんだかできるような気がして、料理教室を始め、ベジ料理研究家、と名乗ることになりました。

 

あのとき日本を出ていたら、カフェ・トピナンブールにはつながっていかず、のちにパートナーにも巡り会えなかったかもしれないと思うと、綱渡りした甲斐はありました。

もっとも、選択の余地なく綱の上に身を任せただけともいえますが。

 

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