日々のノート

植物料理研究家YOSHIVEGGIE(ヨシベジ)のブログへようこそ。自然のリズムと同期する生き方。セルフラブから始まる地球平和。ノート術。生きづらさをギフトに変える心理学。食べもの、暮らし、マインドフルネス。

2024年版 手帳選び

地球のリズムと同期する暮らしを送りたいなら、このカレンダーがおすすめだよ
あ、今日はカレンダーではなく、手帳のお話です

 

手帳、使ってますか?

何、使ってますか?

 

ここ何年も、私が使ってきた手帳は、ヨガ手帳です。

 

yoga-techo.com

 

ヨガや人体の知識が資料として入っているので、実際骨折入院していたときは骨格や筋肉のページ、よく眺めていました 笑。

スケジュール帳の機能がピンポイントで必須でミニマルにしぼられていて、機能性、自由度ともに、◎。

Too Muchがなくて、Too Littleがない。日本語だと、「帯に短く襷(たすき)に長し」の反対語か!つまりちょうどいい!

 

年末に手帳のことで迷わなくていいので、使い初めに戸惑うこともないので、かなり心のミニマリズムにも貢献してくれています。

かつては、LOFTの手帳売り場を何時間もさまよって、カフェで頭を冷やしてからまた手帳選びの沼に入る、という、ビョーテキなことをしていた年もありました。(実際、ビョーキだったので)
タイムマネジメントをするはずが、ミイラとりがミイラになって、ヤマイ膏肓にいる、な恐ろしげな状態。

こんな重症事例は別として、手帳で放浪する人、多いんじゃないでしょうか?
そう考えると、手帳が決まっている、手帳のことで迷わない、ってほんと、気がラクですね。

 

という私ですが、来年は違う手帳でリフレッシュしたいな、という気持ちが湧いています。

 

理由、そのひとつ。

1日に感謝する日記「感謝日記」を、モレスキンの千年ノートに書いているのですが、手帳にたっぷり書けたら、その日にあったことと連動できてよいな、と思ったから。

 

理由、そのふたつめ。

私のテーマのひとつ「女性性を慈しむ」にフォーカスしたくて。女の子っぽい、ふわりとしたバイブレーションの手帳を持ち歩きたい、と思ったから。

 

 

 

ameblo.jp

 

宮本佳実さん監修の手帳。
Sex and the Cityの主人公?キャリーに憧れて、ただひたすらに憧れて、憧れをご自身の現実にしたサクセスストーリーを聞いてby YouTube、その彼女が作った手帳、とっても気になりました。

サクセス系・夢をかなえる系手帳によくある、指示やメッセージがあれこれ入った手帳は私の好みには合わないのだけど、そこんところは過度に入ってないので心地良さそう。

 

なんか、女子力に注力してみたい今の気分に合ってるかも。

え、ちょっと、買ってみようかな。

 

と思ってみた時には、予約の締め切りが過ぎていました。

予約分のみ製本すると、廃棄ロスが出なくて、いい!

注文できなくて残念と思いつつも、期限付きで締切るというカドカワの潔さに感心しました。

 

え、で、

結局来年もヨガ手帳になるかもしれませんね。

感謝日記も、落書きも詰めこんで、第2の千年ノートにしちゃおうかなあ。
さて、何色にしようかな〜。

あなたの手帳のお悩み、アイデア、聞きたいです〜。

 

 

カレンダーはこちらで決まり!

なないろごはんで今年も取り扱いしますよ。予約受付中です。

 

permaculture-calendar.net

 

パーマカルチャーの学び仲間、RIKOさんがプロデュースするカレンダーです。

土のある暮らしをしていなくても、土とつながっている感覚、自然と呼応する感覚、大切です。

月の満ち欠け、二十四節気、種まきカレンダーなど、地球とのつながりを思い出すエッセンスがしっかりと、入っています。

パーマカルチャーを実践しているアーティストによるイラストも、毎年のお楽しみ。

 

パーマカルチャーカレンダーの冒頭
このページは常に壁に貼っておきたくなります

今が一番しあわせ

ある日の気づき・ひらめきメモ。

 

小さな幸せがとてつもなく大きな幸せなんだね

 

 

いつもどれだけ今幸せなのかについて考えていたら

それだけで幸せはあなたのもの。

 

 

幸せは、人が決めるものではない。

自分が決めるもの。

幸せの基準は、お金でも、所有物でも、仕事やパートナーや家族でもなく、心が何を思っているか、だ。

 

逆に、

 

いつもどれだけ今不幸なのかについて考えていたら

それだけで不幸はあなたのもの。

 

やっちゃう、やっちゃう。
どっちをやるのも、本人の自由選択なんですねー。

どうせ同じ状況なら、バイブレーション上がる方、いいことをますます連れてくる方がよいですねー。
自分イジメをしたいのじゃなければ、ね。

 

先日のこと。


キム・タックという韓流ドラマの話、導明先生(千年ノートの創始者)そういえばこないだの講座でしてたよなあ〜、どんなのか調べてみようと思って、結果、3シリーズぐらい観てました。深夜になってしまったとき。あららドラマ観すぎたわ、堕落に過ごしたわ、と後ろめたさを感じながら、そろーーっとひとりで寝支度。
このままでは後ろめたい周波数で寝ることになる、、、。

 

「1日の出来事は、夜寝る前に、ネガティブなことであっても全部肯定にひっくり返してから寝る」というのが、千年ノート創始者で風水師の岡西導明さんから教わったこと。
そうすると、よい睡眠につながるし、寝起きの波動がポジティブ波動になってるからどんどん幸運を引き寄せることになる、という仕組み。


だから、夜寝る前に「感謝日誌」を書くのです。


それで、

「話題の韓流を集中して観られて、シアワセー。

体を休めてだらだら過ごして、リラックスしてて、私偉い!」

と感謝して、かつ褒めることに決めて、ニコニコ嬉しくなりながら寝ました。

 

ネドじゅんさんも言っている左脳さんの自動思考が、足りてること、満足してること、在ることの幸せの自動思考をしてたら、これまたすごい良いめぐりになるということですね。
幸せそうな人は、これをやってるんでしょうね、脳内で。

 

いつもどれだけ今幸せなのかについて考えていたら

それだけで幸せはあなたのもの。

 

うーーん。壁に貼っておきたいくらいの名言きてます。
ド鬱のときの自分にもこれ、伝えよう。
ド鬱なままでド鬱の幸せ、やってみよう。

 

 

 

11月はボタニックグリーンがなないろごはんにやってきます。

草木染に、たくやさんの独特なひねりのきいたポップなデザイン。(このひねりは他の誰にも真似のできない面白さ)何層にも味わいが積み重なっている、お洋服です。
期間中のゲストシェフの饗宴もお楽しみに!

 

自己肯定感についての考察

 

まず、自己否定という概念をもたなければ、自己肯定、というコトバも存在しない。

 

万物の神が創ったわたしという存在はそもそも、肯定や否定をするような対象じゃあ、ない。

私が生きているのは、生かされているから。

生かされている間の、授かりもの。

私の存在は愛でできている。


自己肯定感なんて、ヘンテコで、本来ならばなくていい言葉だ。

 

だけど、ほとんどの人が自己否定や自己嫌悪という、これまた不必要でヘンテコな感覚を、社会というハコ(家、組織、国など)の中で体験し、意識の中に深く深く組み込んでしまった。

 

だから対の概念として、自己肯定という言葉が持ちあがる。

だから私は、セルフラブ(自愛)について話す。


本来すべての生きものに備わっている、自分大好き機能

 

おそらく幼い頃に、または成長の過程で、この機能を制御して抑えてきた。それが良いことだと教えられ、思い込んでいた。

 

セルフラブからはじまる地球平和

 

思い出そう、セルフラブ。

 

本当は自分のこと、無条件に大好きで、無条件に気にかけていることを、自分を幸せにしてあげたいことを、自分に認めよう。

幾重にも歪められたこのハコの仕組みの中で、先祖代々、脈々と自分らに課してきた呪縛をほどいていこう。

 

自己は、宇宙の中の極小の粒子、または波。
一瞬の間の、なんてちっぽけな粒。

 

同時に、意識宇宙の全てが始まる、かけがえのない中心でもあるのだから。

 

セルフラブだけでどこまで行けるのか、の仮説の検証

 

あきらめた話

早い人で半年で、自動思考が消える!

 

www.youtube.com


今、もっともアツイ、おかん、ネドじゅんさんです。

 

片時も離れず私について回るぐるぐる自動思考が、消える。

早い人で半年?
えー、もっと早く、なんなら今日その状態になりたい、とかって思う。

まあ、いいか、今すぐゲット、っていうのはあきらめよう 笑。

そもそもそれが自動思考の声なんだよね。

 

手放すと、それはずっとここにあるんだった、ってことを思い出す。

たとえ悟りの境地でなくてもね。

 

さてはて、

お腹で考えるようになると、一番いい答えを教えてくれる。おかんは、ほとんど頭で考えるのでなくお腹で考えて、答えを出すのだとか。

 

そうしたら、「信号が全て青になる現象」。つまり周りも自分もすべて準備が整っているベストのタイミングでことが運ぶという。

 

シンプルないくつかのメソッドがあるので、気になる方はネドじゅんさん、見てみてください。

 

 

お腹で考える。

 

土着菌ハッピーライフで感じた、お腹から湧き上がる幸せ。

幸福物質オキシトシンセロトニン

あたたかく今、ここに生成している。

そして微生物たち、小さきものたち、目に見えないものたちが私の人生を動かし、運んでいってくれる感覚。自分の努力というよりも、ただそのように力がはたらく、という感覚。

ここともつながってくるんですね。

 

yoshiveggie.hatenablog.com

 

先日、やろうと思っていること、完全燃焼できていないことが山積みの状況をあらためて反省していたら、できていないことにフォーカスのモードになって焦りや不満がムクムクしてソワソワし始めたところで、は、と立ち止まりました。

せっかくの実りの喜びを味わう満月🌕の夜です。

今は、できないことよりも、できていることを喜ぼう。

さつまいもが豊作という快挙。(育てたのは私じゃなくてパートナーなんだけどね! 笑)

仲間たちがやって来て2日間で芋掘り完了!
それに、快食快便、笑い合えること、あたたかい布団があって眠れること、お日様の光を浴びれること、くよくよ悩めること、清らかな水、お風呂。
数え上げたら、エンドレス。

すべてベストタイミングで創造が起きていることに、感謝日記を書いて、1日を閉じました。

あきらめ、手放し、明け渡し〜🌹

ルールを変えてきれいになる

内側から美は始まるね。菌活、コンブチャ。かつて「紅茶キノコ」と呼ばれていたあの菌活がリバイバルして、おいしく楽しめるようになっている。完全に次元上昇だね。来月ワークショップするよ!

 

ヨシさんごとですが

「最近ますますきれいになったね」

と言われますです。

 

「いやいやいやー💦」なんて返さずに、しばし居心地の悪さを耐えます 笑。

ゆっくり息をして、褒め言葉をしっかり自分の中に吸い込んで、そして「ありがとう、うふっ💕」と、にっこり喜びます。

 

きれいを磨くこと。おしゃれをすること。

最近自分なりに意識しています。(忘れてること多いけど)

 

それは単純に、ルールを変えたから。

新しく決めたルールは、自分の中の女の子を喜ばせてあげることをする、ことです。

 

顔面神経麻痺で、顔面崩壊の危機に直面したおかげで、最後の抵抗が崩れ去りました。

世界はいつ崩壊してもおかしくないくらい、ビョーキだ。

それなら、自分でもっと、遊ぶ!

自分の顔と体を、もっと楽しむ!

母なる地球も、私のことも、もっと楽しむ!味わう!

 

 

子どものころのこんな記憶。

家の前で一人で遊んでいたときのこと。

一台の車が私の前ですっと止まりました。

 

乗っていたのは中年の夫婦。窓が開いて「この子なんてかわいいの」みたいなことを言ったのです。

長崎弁だったかもだけど、「こん子きれかねー(きれいだ)」か「かわいかねー(かわいい)」か、間違いなく私に向けた感嘆の声でした。

 

それだけ言うと、私を人さらいするわけでもなく、車は去って行きました。

ポカーン。

 

要は、その夫婦はわざわざ走らせていた車を止めて、私に「あなたはめちゃくちゃかわいい」という主旨の感嘆言葉を伝えて去った、という出来事。

 

「知らない人を信じちゃだめよ」という、昭和のナゾの格言が力をもっていたあの頃。

知らない人にいきなりかわいいなんて言われてしまったことで、私はその後ひどい罪悪感に苛まれました。

自分がなにかとても悪い人間で、悪いことをしてしまったような。

 

子どもの頃、私は自分が女の子であることはいけないことだ、と強く思っていて、男の子の言葉使いをしたり、一生懸命男の子のそぶりをしていたなあ。写真に写るときはもれなく変顔をしていました。

 

愛読書は子供向けのサバイバルやアウトドアのジュニア本。あと、自然観察の本。実際、大好きでした。
でも密かに、バレリーナの本を読んでうっとりしていたことも思い出します。

バレエを踊る人みたいにきれいな女の人になりたい、でもわたしなっちゃいけない。なれない。なぜなら、女の子はいけない存在だから。

本気で、そう信じていた小さい私。なんとも痛々しいですね。

家庭内でのインプットがインプットだっただけに、まんま信じて、自分を否定することで、しいては自分の女性性、女の子らしさを否定することで、存在の意義をかろうじて保とうと必死の策だったわけです。

 

長年かけて、長年培った自己存在否定の氷を溶かした今、あの出来事を、味わい返してみるのもいいものです。

めちゃくちゃかわいい、と言われて、それがたとえ知らない人だったとしても、本当は、本音は、めちゃくちゃ嬉しくて、有頂天になって、自己満足して、気分良くなりたかった女の子。

本当に車を止めて見たいくらいめちゃくちゃかわいかったであろう、当時の小さな女の子を、今の私が、あたたかく見つめてあげています。

 

 

 

あらまあ〜、なんてお綺麗な方!いえいえあなたこそ〜。いえいえいえ、あなたこそ〜。コンブチャ伝道師のAimiちゃんと。

 

女の子であることを存分に楽しみ、自分を慈しむことを、人生の脇に置かず、真ん中らへんに据える。

そして、そのことを照れないし、遠慮しない。


丁寧に美を磨いてきた先達の女性たちからしたら、笑っちゃうくらいにぼっさぼっさの野趣あふれる手入れの行き届いていない私なのですが、人生後半であってもいつでも、学び直して磨いていく、始めていく。それもまた素敵なことだなあ、と思います。

 

自分史上どんどんかわいくきれいになっていきます。

美であそびます。

満たされた気持ちを味わいます。

そして、私の存在そのものが自己肯定感低めで悩むだれかのインスピレーションになる。

本気でそう思っていますので先達の皆様、いろいろ教えてくださいませねー。

 

最後に。

トラウマや愛着障害など、内的に起きるチャレンジ体験は、とてつもない癒しと覚醒の鍵を秘めています。秘めたままにしておくのはもったいない、活用しよう、というのが私の確信です。そういう思いがあって機能不全な家庭環境での私の経験を話題にしています。

私の両親には、よりめちゃくちゃかわいく、五体満足に産んでくれて、愛情を受け、想像を絶する苦労苦難を超えて養育を受けた結果、今の私がいることに、感謝と、かけがえのない幸せを感じていることは言うまでもありません。
私は本当に恵まれています。
いのちをつなげてくれて、ありがとう。

この生命讃歌が大前提にあります。

 

 

ひとりじゃないね

一時期私もパートナーも、後遺症が残ったら、、、と内心ビビっていた私の顔面神経まつりも、もうほとんどわからないくらいに回復しています。

(発症した、と思ったらすぐにお医者さんに行ってください!処置は早いほど、よいです)

 

 

 

ついついね、畑仕事やっちゃうね。草がかわいくてね。ネイルの寿命、如何に。土の上を歩くことはクッションが柔らかくてリハビリにも最適。土のある暮らしは、私にとってとてもとても大切な要素。

 

骨折の時もそうだったけれど、麻痺のときも、周りの人からの応援がそれはもう。

え、私こんなに愛されている?

ときょとん、するほど。

 

レイキヒーラーのことはさんは、遠隔ヒーリングを毎晩送ってくれて

いとこは、地球の太古の磁場を生成する機械を送ってくれて

兄は、毎日2回ホオポノポノの浄化を続けてくれていて(もう何年も)

千年ノートの仲間は、大峯山のご祈祷をしてくれて

 

他にも、

周波数を整えるパッチ

フルボ酸の解毒ドリンク

回帰祝いのためのお酒が続々! ←まだ私禁酒なので見てるだけで辛い😆

光触媒のローション

ヨモギのオイル

カレンデュラのチンキ

気分が上がるアロマシステム

水素生成の機械

などなど

などなど

などなど

ここではあえて挙げないことも含め

 

あの手、この手が、私をヒーリングしてくれて、、、

 

こんなにも愛されていること。

こんなにも応援されていること。

考えるだけでもウルウルしてきます、、、

 

あきこさんからの手作りのギフト。これは我が家にとって金言!
一番目につくところに飾っている。

 

 

矢尾こと葉さんから、遠隔レイキヒーリングとともに著作のギフト。
ゆほびかについてくる、こと葉さんの声の誘導瞑想CDは、お金と幸せ、豊かさを引き寄せるもの。お風呂に浸かったようにリラックスに入って、本当に潜在意識レベルで染み込むから、毎日聴いています。

 

顔の麻痺というのは疲労やストレスと関係しているのを、すごく感じます。

帯状疱疹と同じ病因といえば、なんとなくその意味がわかるかと思います。

 

私は自分を知らず知らずに追い込む生き方を長年してました。体の声をがん無視して自律神経狂わせてしまっていたので、疲れやストレスのサインに気づくのが上手ではなかったのですね。

いやいや、もっとやらなきゃダメでしょう、みたいな。ダメ出し塩対応の半生。
国立のお店をやっている頃、重度の自律神経失調症でした。死神の姿が数回見えました。それでも自分で気づかない。だから重症ということか。

長年のクセは、ここ秩父に来てずいぶん養生ライフスタイルに切り替えたとはいえ、完全になくなったわけではない。

 

そこにこの麻痺。

顔面神経麻痺は一度発症すると一生、影響があると言います。一生かけて治していくものだ、とも。

この顔面神経、日中活動していると、ぴりぴりしたり、こわばったり、冷えたりしてくるのです。で、それは疲れと連動していることに気づきました。

 

最初、ああ、どうしてこのくらいのことで辛くなるんだろう!まだまだあれもしたい、これもあるのに!と悲しくなっていました。

だけど、途中で「あ」、と気づいたのは、、、。

私にわかるようなサインを、体が用意してくれているのだ、という事実。

それも看板である顔という部位でもって。

周りにもごめんねー、神経がほにゃららで〜って、伝えられる。

 

健康ならこれくらい動かなくちゃ、とスタンダードに合わせようとする自分をたしなめて、ほどほどにと自分をスローダウンさせる。全然大したことなくても自分基準で、よくやった!!と労う。

自分にとってのちょうどいいは、自分にしかわからないから。

 

私の自律神経のバロメーター、新しいパートナーを得たと考えたら、めちゃくちゃギフトです。だって、ここでまたサインを無視したら大事な顔に表れるのだから、それはごめんね、って神経休めるしかないでしょう。

 

体って、自分って、いのちって、すごいんです。

 

そして、自分のいのちはなによりも自分が慈しんであげることで初めて本当に輝き出す。

どれだけ周りから愛されたとしても、その愛を受け取れるのも、自己受容という「受容体」が自分の中にあってこそ。

世界は自分自身の鏡として映し出されるもの。

すったもんだやってきた私だからこその、自己受容の大切さを証明するエピソードがたくさんあるから、もっともっと話していきたいと思います。

 

今日も、ありがとう。

 

日々ノート再開

このブログを見てくださっている皆さま、またまた、お久しぶりです!


7月に左足を粉砕骨折し、お店のキッチンを休んで療養しています。

おまけに退院後に顔面神経麻痺を発症し、すったもんだ、、、

おもしろいくらいの強制リセットの機会をプレゼントされてる〜。

根本見直し、休憩、自分の声に耳を傾ける、グレートリセットの時間を、文字通りプレゼントされてます。

何度も人生の中でリセットや強制終了はあったけれども。

マジだよ、と、足が犠牲を払ってまで、大切な顔を、ひょっとこのように捻じ曲げてまで、体を張って教えてくれているもの。

メッセージを受け取る日々。

 

そんな機会なので、植物料理研究家としてではなく、いち個人としてのノートを綴るよーー。

 

 

それにね。

今この瞬間、戦争が起きていて、たくさんの人が亡くなって。

世界はどうなるのか、経済はどうなるのか、仕事はどうなるのか。

異常気象のサインが顕著な中、来年も作物は育つのか、地球は人類はどうなるのか。

 

振り返ってみたら、今に限らず子どもの頃からです。いつ世界が止まってしまうのか?

そんなことを考えていたのは。

 

止まっていたのは、私じゃん。

止めていたのは私。

凍っていたのは私の内なる世界とその現象としての外なる世界。

 

もういい。

世界は世界。

わたしはわたし。

世界への忖度、やめる。

 

お気楽に行こう。

半世紀以上ガチガチに生きづらさの権化だった私は、いよいよ最終通告💛きてるのです。

 

手指へのネイルをやってみたー💕

 

自然志向や環境のことを中心にずっと生きてきた人には、わかりみ〜じゃないかと思うのですが、女子が楽しむこういうことにも抵抗があったりね。

どうですかね??

私はものすごく、それがあって。

鏡で自分の顔を堂々と見ることもできなかった。

お化粧なんて、30代だったかになって彼氏にお化粧くらいしてよ、眉くらい整えてよ、と言われて初めて少しするようになったという重症患者でした。

 

そういうことにいっこいっこ気づいて、意識して、そこからとっかかりに、内なる小さな女の子の自分を楽しませてあげる、遊んでみる。

 

年齢に関係なく。

一切、関係なく。

 

そんなお手本のような方、こちらにもいらっしゃいまーす。
着物ドレスデザイナーのLilyさん。ギブス姿で会いに行きましたよー。

 

ほとばしるエナジーアート展 開催します。(後日談・しませんでした😅)

ほとばしるエナジーアート展。チラシもほとばしりました。

 

後日談(2023年10月)

 

こちらは骨折入院のため、開催しませんでした。

開催を楽しみにしていてくださった皆様、関わってくださっていたみなさま、あらためてごめんなさい。

下書きに入ったままになっていましたので、記録のためにあげておきます。

 

あらためての開催はいつになるか、ということですが、、、

 

入院中はたくさんの言葉やイメージが湧いてきて、色鉛筆や水彩絵の具を差し入れしてもらい、たくさん描きました。

 

 

 

入院前と入院中ではフェーズが違う、と自分でも感じるくらい、湧いてくるものが変わっていて。

退院してから、実は私、ぱったり描かなくなっています。ぱったりと、気が乗りません。

これまでに描いていたものも、なんとなく封印していたい気分。

 

正直、別に絵が上手、とか思ってないんです、最初から。だから今更、自分の下手さや表現力の乏しさがうんぬんでもないんです。

上手い下手じゃなく、湧き出るもの。降ろされるもの。描きたくてうずうずするもの。

私はそういうセンセーションを大切にしています。

 

風の時代に入り、国民総アウトプットの時代だなあ、と感じるのだけど、そんな中で、アウトプットをしないで沈み込んでみる。そういう逆も面白いものです。

 

植物や空を眺め、料理や野菜を愛で、心象を観察し、今はただありのままを味わう時間を過ごしています。

 

そうそう、いつ展示会をするのか、の話でしたね。

センセーションとともに、必要なタイミングで開催したいと思います。

ニューアース・キッチン おわりに

 

おわりに 

 

ニューアース・キッチンが目指すもの

 

2000年を迎える頃より自然食やマクロビオティックの料理の世界を探求してきました。気がつけば20数年が経ちましたが、感覚的にはもう、でもあるし、まだ、でもあります。

 

古典的なマクロビオティックに出会ったとき、体の不調を治癒する力を実体験し、古来の調味料や調理法で丁寧に作った、陰陽調和料理の噛み締めるほどに深まる味わいに衝撃を受けました。

身土不二と一物全体、陰陽の考えを忠実に反映した当時のマクロビオティック料理は、素材の制限もあったため全体的に地味な茶色の料理になりがちでした。

食事で満たされるというとき、それは美味しさ、健康を保つ、というだけではなく、彩りやプレゼンテーションも大切であることに、気づきました。そこから五感の全てにわたって満たされる料理の探求が始まりました。

五感の全てにわたって満たされる料理はすなわち、多様性と調和の料理です。お皿の上の調和と、地球の調和とがつながっているように、とイメージをしながら、料理を創作してきました。

 

 

体にやさしくて

おいしくて

心が満たされて

エネルギーが目覚めて

地球とのつながりを思い出すごはん

 

節目であると感じる今、長年の料理とのお付き合いを振り返って私がこれまで食について学び、体験し、考えてきたことを、エピソードごとにまとめてみました。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 

癒しが生まれるところ

 

母なる地球とのつながり、という文脈で食を語ろうとするときに、わたしの中では切り離すのが難しいのが、テキストの中でたびたび触れてきた、生きづらさや心の問題です。

 

私が生まれた家は特殊な事情があった上、重病人が相次ぎ、まるで呪いがかけられているような家庭でした。成長過程で負った複雑性PTSD(継続的なトラウマ)の影響は深く、物心ついた頃には私の中に生きづらさという暗闇がついて回りました。どちらかといえば自己肯定感がないところからの人生のスタートでした。過去世や家系的なカルマもあるでしょうか。現実感覚が解離し、どうも周りとの認識のずれが生じます。友達とどうコミュニケーションをとったらいいのか戸惑っていた子ども時代。その頃から誰も見ていないところで植物と話をする変わり者でした。植物となら、素直に心を開いて話ができるのです。

 

私の両親も、やはり同じく心の中に深い傷を負って、暗闇を抱えていたのではないかと思います。戦争とその混乱を体験した世代です。事業に奔走し、家族を守り養うことで精一杯でしたが、本当は思う存分、彼ら自身も幼少から負った内なる傷をヒーリングすることを、魂が求めていたかもしれません。二人は自然を深く愛していて、山を開墾したり、野菜や花を育てたりすることをとても楽しんでいました。家庭にはさまざまな問題がありましたが、自然の中に入っている時は、大いなる自然に包まれて、そして関わり合っているという安心感に浸っていたように思います。そして草や木や野菜や川、土といった共通の話題で会話をしているときは、家族のなかに無邪気で優しい時間が流れていました。

 

ティーネイジャーの頃になると、天啓のような、ガイアからの直接的な呼びかけのようなものが降りてくるようになっていました。木々からオーラが立ち上がるのを飽きずに見つめていました。人のオーラと違って、木々から放たれるオーラは、純粋な光でした。「あなたの仕事をさせてください」と私も呼びかけました。ただ、何をしたらいいのかわかりませんでした。

ふいにやってくる恍惚体験とその後反動のようにやってくる暗闇の振れ幅に、疲労困憊していました。こんなに生きづらさと生き下手を抱え、自分の心の問題さえ克服できないダメな人間なのに、母なる地球ガイアのためになにもできない無力感を同時に感じていました。自然が、私たちの都合によって加速的に壊されていく様子を悶々としながら見つめ、ときに見てみないふりをしてきました。

 

ベジ料理家というと、心身ともに健全健康な料理家のイメージがあります。私も永遠の憧れです 笑。目指すは明るく社交的なインフルエンサー。しかし私の場合は、生まれながらについてきた心と体調の不安定という障害に向き合いながら、ガイアから語りかけられ、語りかけ、植物から体を治してもらい、植物に導かれるようにして料理に向かい、なんとか生かされて今があります。

 

私が脅迫的な食べ吐きを繰り返す摂食障害で苦しんでいることを、私にとって姉のような存在だった友人(故人)に打ち明けたとき、彼女がこう手紙に書いてくれたことがあります。

 

「食があなたにとってとても大切なものだから、苦しみも食を通してあなたに伝えてくるんだね」

 

今後、地球に恩返しできて、世の中に少しでも貢献できることが私にあるとすれば、私が私のありのままを全肯定で受け止め、癒し続けるチャレンジそのものが、同じく悩める誰かの励みになり、地球の重みを軽くすることにつながるのではないか。その感覚は強まるばかりです。なので、料理のことと等しく、生きづらさを経験してきた私だからこそ、心のことと癒しにつながるヒントもみなさんにお伝えしたいことなのです。

 

私が数十年間ガイアに語りかけてきた「あなたの仕事をさせてください」という祈りは、それが自分自身であれ、地球であれ、今もっとも癒しが必要なところに癒しを注ぐことでもあるのかもしれません。一人一人のユニークなやり方で。私も、植物料理研究家という枠に限定せずに、私なりのユニークなアプローチをこれからも切り拓いていくつもりです。

 

守・破・離という言葉があります。型を守り、型を破り、型を離れて、自在の道に至る、修養のプロセスを表したものです。

 

生きることは食べること。これからも私はキッチンに立ち、無邪気に料理を楽しみながら、地球の恵みをお祝いしたいと思います。

読んでくださったあなたの食べるごはんが、本質的な豊かさに満ちて、同時に最高の癒しでありますように!

 

 

ニューアース・キッチン18 ベジブロス

 

18 ベジブロス

 

野菜の端っこにはうまみや香りが宿るという話をしました。端っこ野菜を活用したベジブロスの作り方を、あらためてご紹介しましょう。

 

これから挙げるような野菜がひとつかみ分でもあれば、早速作ってみましょう。毎回のお料理で出る量が少ない場合は、ある程度たまってくるまで冷凍庫にコレクションしておきます。または天日で干し野菜にしてとっておくのもいいです。

さて、端っこ野菜がある程度たまってきたら、しっかりかぶるくらいの量の水とともに鍋に入れて火にかけ、沸騰したらコトコトとやさしく煮え立つ程度の火加減で、20分ほど煮出します。アクは気になるようならすくいとります。目の細かいザルでこして、出来上がりです。

 

次のようなお野菜は一例ですが、香りのよいブロスに適したものです。

あるもので組み合わせてブロスに使ってみましょう。

 

たまねぎの薄皮や芯・・・土のついた根元や傷んだ部分は切り落とします。

人参の皮や軸・・・土がついた部分はトリミングして。

セロリの筋・皮・葉っぱ・芯・・・葉っぱは風味が強いので、使う量は調整して。アジアン・洋風料理に。

じゃがいもの皮・・・青くなっていないものなら、よく洗ってむいた皮からはよいだしが出ます。

ピーマンのヘタや種

トマトのヘタまわりや皮

バジルやパセリの茎・・・アジアンや洋風のだしにしたいときに

パクチーコリアンダー)の根 ・・・アジアン・中華に

白菜やキャベツの外葉や芯

ネギの薄皮

にんにくの芯

きのこの石づき(おがくずの部分は削ぎ落として)

 

さて、おいしいだしができたかどうか、チェックする方法です。味見用のお椀に、塩ひとつまみとだしを合わせて飲んでみます。それだけでおいしいおすまし、またはコンソメスープだと思えるようだったら、ばっちりです。

このベジブロスを、スープをはじめ、だしが必要ないろんな場面で活用させます。

 

 

先ほど触れた「一物全体」という言葉。野菜も私たちの体と同じように、切り離せないまるごとひとつのいのちだから、まるごとのパワーを体にいただきたい、という考えです。豚の皮以外はすべて料理する、という沖縄料理の考えはまさに一物全体のアートですね。そのまま食べることをしなくても、むいた皮をこうしてだしに使うことで一物全体になれるので、味もバランスがとれて、嬉しい再会というわけです。

 

 

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